ヘンゼルとグレーテル

 

 

プロローグ

 

妹のグレーテルは、とっても可愛い。ちょっと頼りないところもあるけど、いつでも僕の後をついてくる様子なんてとても愛らしく、僕が守ってやらないといけないという気になってくる。

いつまでも、一緒にいたいな。

 

 

ヘンゼルお兄ちゃんは、いつでもすごく優しいの。いつもあたしのわがままを聞いてくれるし、お母さんに叱られても庇ってくれる。あたしはお兄ちゃんが大好き!

いつまでも、一緒にいられたらいいな・・・。

 


 

1.子捨て

 

木こり夫婦には2人の子供がいた。兄のヘンゼルと妹のグレーテルである。兄妹は非常に仲良しで、いつも一緒だった。家は貧しかったが、兄妹は幸せだった。

 

それにしても、このところの生活の苦しさは尋常ではなかった。時は中世末、世の中が全体的に沈滞して不安定になっている時期であり、長く固定化していた社会構造がもたらした歪みによるものだったのだろうが、一介の木こりにそこまでわかるはずもない。兄妹の両親は、当面を乗り切る方法を模索せざるを得ない。

「子供たちを森に捨てて来よう。」

母親は父親に向かってそう言った。その表情は険しい。

子捨て。苦悩の末の已むに已まれぬ、それが結論だった。父親は絶句した。蒼白な顔はやや引きつっている。

「そんな酷いこと・・・。何か他に方法もあるだろう。あんな小さい子供を捨てるなんて・・・。」

「他に方法なんてありゃしないよ! 世の中には修道院とか、貴族が設立した救護院とか、色々とあるんだ。森に捨てたって、うまくすれば生き延びられるかも知れない。でもこのままじゃ、一家4人間違いなく飢え死にするしかないんだよ!」

この頃にはヨーロッパ各地で戦争が恒常化していたが、むしろ休戦中に解雇された傭兵部隊が野盗化して村を遅い、被害にあった村の生き残りが集団で森を徘徊(はいかい)する光景がよく見られたという。彼らはしかし、母親の言うとおり、貴族が領内に建設した救護院や孤児院などの施設、それらの他に修道院などでも救済を受けることができた。捨てられた子供たちも含め、運良くどこかの施設にたどり着くことができれば、何とか生き永らえることができたのである。

しかし、10〜13世紀にかなり開拓されたとはいえ、ヨーロッパの森はなお深く暗く、彼らの大部分はそういった救護の手を受けられぬまま野垂れ死んでいった。

「あの子たちは途中で野垂れ死ぬほどやわじゃないよ。必ず生き延びてくれる、そう信じてあげようじゃないか。」

やや口調を和らげた母親の言葉に、父親はただ俯いたまま何も言えなかった。その時、部屋のドアが少しだけ開いており、そこから静かに去っていく人物がいたことに気づく余裕は、2人にはなかった。

 

 

翌朝、4人は揃って森へ出かけた。子供たちはいつもは留守番だが、たまに森へ連れて行ってもらえることがあった。両親は仕事中、森の中の少し開けた野原で子供たちを遊ばせておき、帰りに迎えに来るのだ。一緒に森へ行く日には子供たちは大抵はしゃぐのだが、この日はなぜか2人とも静かだった。

「それじゃ、帰りに迎えに来るから、それまでここでいい子にして遊んでるのよ。」

母親の言いつけに、2人の子供はやけに神妙に肯いた。母親はその様子にかすかな違和感を覚えた。何か感づいているのかも知れない。だが、母親はすぐにその不安を振り払った。こんな子供たちに何ができるだろう。自分たちがこれから行く仕事場は、沼地や崖などの難所を越えた先にある。道具も持たない子供にはついてくることなどできるわけがない。帰りは野原を大きく迂回して帰るから、何も心配は要らないはずであった。母親は立ち上がると、子供たちに心配そうな視線を向ける父親を促し、森の奥へと入って行った。

彼らの背後には子供たちの冷たい視線が突き刺さっていたが、彼らには気づきようもなかった。

 

 

翌朝、母親はいつもより早く起き出した。昨夜はあまり眠れなかった。父親が夜遅くまで愚痴を言っていたからだ。

「とうとうやっちまった。俺は何て酷い親なんだ。自分の子供を捨てるなんて。あの子たちは今頃どうしているだろう。さぞ不安だろう。ああ、俺は何てことをしてしまったんだ・・・。」

母親だって、まるっきり平気というわけではない。自分の腹を痛めて産んだ子供たちだ。可愛くないはずがないが、だからといって今更そんなことを言われてもどうしようもない。これからどうするかを前向きに検討するべきなのに、このような愚痴を延々と聞かされて、すっかり気が滅入ってしまい、なかなか寝付くことができなかった。

気を取り直し、頭をすっきりさせるために、母親は外に出てみた。まだ夜明け前のほの明るさに、朝霧が淡い彩りを添えている。少し湿り気を含んだ、清涼な朝の空気は彼女の気分を充分にリフレッシュさせる効果があった。気持ち良さそうに大きく空気を吸い込んだ次の瞬間、その表情が急速にこわばった。霧の中から2人の子供が姿を現したのだ。まさか・・・。

「お母さん、ただいま!」

その声も、その姿も、間違いなく昨日森の奥に捨ててきたはずのヘンゼルとグレーテルの兄妹だった。

2人は、呆然と立ち尽くす母親の傍らを走り抜け、まっすぐに家の中へと駆け込んで行った。間もなく、家の中からは子供たちの走り回る足音と元気な声、そして安堵したような父親の声が聞こえてきた。

 


 

2.放浪

 

「お前さん、見ておくれよ。」

ある夜、母親が父親に何かを差し出した。見るとそれは石だった。ただの石ではない。月明かりにかざしてみると、その石は青白い光を放った。父親はきょとんとして、

「これがどうしたんだい?」

と訊いた。この石はこの辺りにはたくさん落ちている。別にそれほど珍しいものでもなかった。

「この間、子供たちを置き去りにしようとした野原からこの家まで、道々この石が置いてあったんだよ。あの2人、前の晩にこれをたくさん拾っておいて、森へ行く道中で落としながら歩いて行ったんだ。してやられたよ!」

母親は、置き去りにした子供たちが自力で帰ってこられたことがどうしても納得できず、先ほど例の野原まで行ってみたのだ。ヘンゼルたちの使ったトリックを見破った母親は、それに足元を(すく)われたことが悔しくてならない。

「今度は闇夜の晩を選んで、前日の夜に2人が出かけないように見張っていれば、絶対無事に目的を達することができるよ。」

「おい、何もそこまでしなくてもいいだろう。あの子たちが帰ってきたのは、神様が、やっぱり子捨てなんて良いことじゃないということを俺たちに教えようとしてくれているんだよ、きっと。」

父親は、この期に及んでも前向きの思考をしようとせず、苦難が去っていくのをただじっと待つ構えである。

「何言ってんだい! これだけ逞しければ野垂れ死にすることなんてないだろうさ。それどころか、このままあいつらがここにいたら家中の食料を食い尽くされてしまうよ!」

2人が帰ってきてからも貧窮の度合いはいや増すばかりで、母親はますます精神的に追い詰められていた。その上、2人の子供の思わぬしたたかさを目の当たりにして、一層危機感を募らせていた。

今や彼女には子供たちが、すべてを食いつくして親を枯死させる化け物のようにすら見えていた。

 

 

この日も、ヘンゼルとグレーテルは両親の会話を盗み聞きしていた。

「グレーテル、今回はどうやら例の石を使うことはできなそうだ。何とか代わりの方法を見つけないと。」

ヘンゼルの言葉にグレーテルは不安そうな顔をしたが、この兄についていく限り大丈夫、前回もヘンゼルの機転で無事に帰れたではないか。そう自分に言い聞かせ、気を取り直した。

 

 

数日後、一家は再び揃って森へ出かけた。この日、前回のリベンジが試みられることはヘンゼルにもグレーテルにもわかっていた。今夜は新月だし、何より父親は隠し事のできない人だった。何となく落ち着きのない様子を見れば、誰だって不審に思うだろう。ここ数日、夜間は母親の監視が厳しく、石を拾うことができなかった。しかも今回は前回とも違う方向へ向かっているようだった。

ヘンゼルは、昼食用にもらったパンを少しずつ千切って、道に落としていった。さりげなくヘンゼルの様子を窺っていた母親は、そんな様子を見て内心でほくそ笑んだ。

一方のヘンゼルは必死だった。とにかく何らかの手がかりを残しておかなくてはならない。前回とは違って、万全の自信をこの時は欠いていたが、何か手を打っておけばひょっとして道が開けるかも知れないと思った。

野原に着くと、母親は嬉々として、父親は後ろめたそうに、それぞれ去っていった。ヘンゼルとグレーテルは早速行動を開始する。両親が迎えに来るのをただ待つつもりなどさらさらない。自力で家に帰らなくてはならないのだ。

両親が森の中を歩く音が聞こえなくなると、ヘンゼルは妹の手を引いて歩き出した。今回の目印は夜に光る石ではないため、日のあるうちに何とか帰り着かなくてはならない。

「あれ?」

ヘンゼルは首を傾げた。目印にと置いておいたパン(くず)がどこにも見当たらないのだ。ヘンゼルは必死でパン屑を探す。あれがないと家に帰れない。しかし、とうとうパン屑は1かけらも見つからなかった。野鳥が全部(ついば)んでしまったのだ。計画的な作戦を準備する術を封じられ、一か八かの賭けに打って出て失敗したことになる。

この時点でヘンゼルは深い恐怖に襲われた。果てしなく深い森の中に子供たちだけで取り残されるという、絶望的な状況がヘンゼルの足を(すく)ませた。血の気が引き、目の前が暗くなりかける。頭を抱えて座り込みたいという気持ちと、大声を上げて走り出したいという衝動が同時にヘンゼルを襲った。

だが彼は耐えた。彼の手を唯一の頼みとするグレーテルの存在が、彼女を無事に家まで連れ帰らなくてはという使命感が、辛うじて彼を現実の岸に引き留めていた。

問題は、この期に及んでヘンゼルの発想が「家に帰り着けさえすれば、何とかなる」というところに留まっていることだった。この頃、中央集権化を推し進めようとする皇帝・国王と、貨幣経済の進展の中で従来の権力を維持しようとする封建領主によって民衆は二重に重税を課されて疲弊していた。その上、数年ごとに凶作に見舞われ、更に野盗化した傭兵たちの横行で生活できなくなる農民も数多かった。「子捨て」は当時かなり行われていたようである。

子捨てをする親の気持ちはさぞ苦悩に満ちていたことだろうが、子を心配すると共に「自力で生き抜く力を身につけてくれ」と、子供の自立を促す親心も、そこにはあったのではないだろうか。

それを理解するには、ヘンゼルは精神的にまだまだ子供だった。

 

 

「大丈夫だよ、グレーテル。僕が何とかする。一緒に家に帰ろう。」

ヘンゼルは、繰り返しグレーテルに言い聞かせた。半ばは自らに対する励ましだったろう。グレーテルは素直に肯いていたが、ふとした疑問が心に湧いてきていた。

(でも、このまま家に帰っても、結局前と同じで、何の解決にもならないんじゃないのかな・・・。)

 


 

3.お菓子の家?

 

ヘンゼルはグレーテルの手を引いて森の中を歩き回った。何しろ食べ物がないので、そこら辺にあるものは何でも食べた。どんぐりなどの木の実は見つけ次第食べ、木の皮・草の根に至るまで(かじ)った。元々家が貧しく、普段でもこういうものを口にすることはままあったのだ。水分は朝露で摂り、小川を見つけると転げ込むように駆け寄って顔を突っ込むようにして水を飲んだ。ただ、まだ狩りをすることはできなかったので、鹿・ウサギなど動物性の食べ物を口にすることはできず、摂取カロリー量は明らかに不足していた。

 

 

もう何日経っただろう。腹を減らし、すっかりやつれて幽鬼のようになりながら、2人はなお森を歩いていた。グレーテルが転ぶ。ヘンゼルはのろのろと歩み寄り、黙ってその手を引く。声をかけるだけの体力も気力も既に残っていないのだ。顔を上げたグレーテルと目が合い、どんよりと生気のない目や表情を互いの目に映しあった。

このまま力尽きて飢え死にするのかも知れない。リアルな実感をもってそう思っても、特に恐怖は感じない。いっそ楽になれるかも知れないとさえ思った。

「お兄ちゃん、あれ・・・。」

ややかすれた、呟くようなグレーテルの声に、ヘンゼルは我に返った。妹の声を聞くのは何日ぶりだろうかと、ぼんやりと考えながら、彼女の指差す方向に振り返った。遠くに明るい光が見えた。森の出口だろうか。森の外へ出ることができれば、人の住んでいるところへ行って、食べ物を分けてもらえるかも知れない。今まで2人とも下を向いて歩いていたので、遠くの光に気づかなかったのだ。2人の目に希望の光が差した。立ち上がったグレーテルの手を引いて、ヘンゼルはその光へ向かって前進を再開した。

木が絶えたところに到達したが、そこは森の出口ではなく、森の中の広い原っぱのようなところだった。しかし2人は落胆しなかった。2人の目の前に1軒の家があったのだ。2人は残った体力を振り絞るように、よろよろと駆け出した。

2人が育ったボロ家よりずっと立派なその家に近づいていくと、家の中から女性が姿を現した。彼女は2人の子供を見ると、驚きつつも手を拡げて彼らを出迎えた。

「まあまあ、どうしたの。こんな森の奥で。」

女性は2人がひどくお腹を空かせた様子なのを見ると、家に迎え入れて食事を用意した。それは質素な食事ではあったが、2人にはすごいご馳走に見えた。何しろ何日かぶりのまともな食事である。いや、それどころか、2人が暮らしていた家は貧しかったため、普通の食事もあまり食べられなかったのだ。ヘンゼルもグレーテルも、ただ夢中で食べた。ビルギッタと名乗ったその女性は、慈愛あふれる微笑みを浮かべつつ、2人を見守っていた。

たらふく食べたら眠くなってきた。ビルギッタは2人のためにベッドメイクをしてくれた。お腹いっぱいの食事と真っ白なシーツ、ふかふかのベッド、まさに夢のような気分で2人は眠りについた。一人暮らしのビルギッタの家に、どうしていくつものベッドが余っているのかという疑問にまでは、2人とも頭が回らなかった。

 

 

2時間後、グレーテルが目を覚ました。ヘンゼルはまだ熟睡している。自分の身だけでなく妹をも守り、ずっと気を張った状態できたのが一気に弛んだのだろう。グレーテルは兄を起こさないよう、静かに居間に出てきた。

居間にはキリストの(たっ)刑像があり、その前でビルギッタが(ひざまず)いて祈りを捧げていた。それはグレーテルの目には不思議な光景だった。グレーテルは今まで食事の前に短い祈りを捧げたことしかなかったのだ。グレーテルの気配に気づいたビルギッタが目を開け、笑顔を向けてきた。

「もう起きちゃったの。よく眠れた?」

「うん。とっても気持ちよかった。」

グレーテルも、つられるように愛らしい笑顔を見せた。久しぶりに笑った気がする。我知らず、グレーテルはビルギッタに心を開き始めていた。

「どうして、そんなに一所懸命にお祈りしていたの?」

グレーテルの素朴な疑問に、ビルギッタはやや虚を突かれたような表情を見せた。そんな当たり前のことを聞かれるとは思いもしなかったとでもいうような。

「神様を信じて、ひたすらにお祈りを捧げることで、天国に行けるのよ。でも女は罪深い存在だから、より一所懸命に祈らなくてはならないのよ。」

「ふうん・・・。」

ビルギッタはあえて単純化してそう説明したが、グレーテルにはぴんとこなかった。女が男と違って罪深い存在であるとはどういうことか。このことについてはカトリック教会内部でさえ諸説があり、明快な説明はなされていない。ただ、長い年月にわたって繰り返しそのように言われ続けてきたことで、そのような考え方が定着していった。理解できなかったとしても、それはグレーテルの責任ではない。

その後、2人はお互いのことを色々と語り合った。ビルギッタはずっと一人暮らしで、話し相手がいることが久しぶりで、嬉しかったのだろう。よく見ると、ビルギッタはひどく痩せていた。ヘンゼル・グレーテル兄妹も彼らの両親も、貧しさのために痩せていたが、ビルギッタの痩せ方は異様ともいえるほどで、服装と優しげな口調とがなければ女性とはわからないほどだった。彼女は一見40歳くらいに見えたが、実はまだ20代と知り、グレーテルは驚いたものだった。

「うちはとても貧乏で、食べるものがなくて、あたしとお兄ちゃんは捨てられちゃったの。あたしたちはもう家に帰ることはできない・・・。」

涙ながらにそう語るグレーテルに、優しく包み込むようにビルギッタが語りかけた。

「ここで一緒に暮らしましょう。一緒に神様に救いを求めるのよ。」

確かに、ここにいれば、少なくとも食うのに困らないことは明らかなようである。家に帰ることに固執していた兄も、きっと賛成するに違いない。グレーテルは生まれて初めて、ヘンゼルに頼らず独自の判断でビルギッタとの同居を決めた。

しかし、未知の世界における初めての行動や判断は往々にしてうまくはいかないものである。グレーテルは、間もなく自らの判断を後悔することになる。

 


 

4.グレーテルの受難

 

「グレーテル、お祈りの時間よ。」

ビルギッタの呼びかけに、グレーテルはふらふらと居間へと歩いてきた。別に眠いとか、お祈りが嫌だとかいうわけではない。グレーテルは、ものすごくお腹が空いていたのだ。

 

 

小さな兄妹と同居することになった日から、ビルギッタはヘンゼルとグレーテルの生活空間を完全に隔絶させてしまった。信仰に生きることになった以上、グレーテルは修道女のように、たとえ兄弟であろうと男性との接触を避けなくてはならないと、ビルギッタは考えたのだ。そしてビルギッタはグレーテルに自分と同じ生活スタイルを要求した。ビルギッタは一日中祈りと労働に励み、何より食べ物を一切口にしなかった。

ビルギッタは在俗のままで信仰生活を送り、神の救済を求める、いわゆるベギンと呼ばれる女性だった。ベギンは14世紀以降急速に増え、多くは集団生活を送り、彼女らの中からは多くの聖女が現れた。その特徴は、極端な禁欲生活、度重なる断食または継続的な絶食、そして頻繁な幻視・幻覚である。

ベギン思想の根底には、どうやら初期中世以来の女性蔑視の考え方があったようだ。先に触れた「女性は罪深い存在」という観念とも密接に関連するが、女性は女性であること自体で罪深いのであり、それによって救われがたい存在であるとみなされたのである。最初は諦めていた女性たちも、やがて救いを求めて自ら立ち上がる。ただし、それは自らの女性性を捨てること、そして苦行によって「救われたい」という積極的な意思を表現するという方向だった。絶食で痩せ衰えることで女性らしい丸みのある体型が喪われることも、彼女らにとってはむしろ好都合だったようだ。それによって男性に、更には救いに近づくと考えられたのである。

ビルギッタもかつては少しはものを食べていた。以前はここにも小さな村があったのだ。この家でも数人のベギンが生活しており、毎週日曜日には教会に通っていた。ところが数年前の黒死病(ペスト)の流行で村のほとんどは死に絶えてしまった。奇跡的に生き残ったビルギッタは一人この地に残ったのだ。司祭が生きていた頃は、この頃の多くのベギンがそうであったように、司祭によって聖別されたパン(聖体)のみを口にしていたが、聖体が手に入らなくなると完全に絶食するようになった。

 

 

「ビルギッタ・・・、お腹がすいた・・・。」

グレーテルは消え入りそうな声で訴えた。彼女はビルギッタにつきあってほとんど食事をしていなかった。とはいえ、何も食べない状態での労働はきつすぎる。彼女はビルギッタと協力して掃除・洗濯から畑仕事や家畜の世話まで、精力的にこなしていた。ビルギッタ自身は食事をしなかったが、ヘンゼルとグレーテルのように行き倒れのような放浪者に出会うことは希にある。彼女はそういう人たちに食べ物や寝床を提供することで、更に功徳を積んでいた。食事をしない彼女が菜園や家畜を持っているのは、ほとんどそのためである。

「しょうがないわねえ。そのうち慣れると思うけど、少しずつ食事を減らしていくことにしましょうか。」

ビルギッタはそう言うと、(わず)かな食事をグレーテルに与えた。何しろ自分が何も食べないものだから、グレーテルが飢えていても気づかない。食べさせないのも、ビルギッタにとっては親切心なのである。

一方でビルギッタは、ヘンゼルには充分な食事を与えた。ヘンゼルは男性であるから、苦行の必要はないのである。ただし、ヘンゼルは部屋から出ないように言われており、ほとんど軟禁または隔離状態にあった。グレーテルが家事労働で家中を動き回っているため、2人の接触を断つためにはヘンゼルの方に規制の枠をはめる必要があった。ヘンゼルも最初は行動の自由を奪われたことに抗議の声を上げたが、それと引き換えにお腹いっぱいの食事が保証されたので、何日かするとすっかり満足して状況を受け入れてしまった。

「まったく、何なのよ。あたしばっかり割を食ってるじゃないの! どうしてこんなことになってしまったのかしら。」

ビルギッタと並んで跪きながら、グレーテルの内心には、価値観のまるで違うビルギッタへの困惑と、まるっきり受け身のヘンゼルへの不満がわだかまっていた。

 


 

5.転機

 

兄妹がビルギッタの家に住み始めて2ヶ月が経った。この期間、グレーテルはビルギッタの指導のもと、すっかり家事全般に精通するようになっていた。ビルギッタは何事にものめり込む性格らしく、あらゆる知識を持っており、それはグレーテルには大いに役立った。その代わり、それに数倍するマニアックな宗教話も常に聞かされ、閉口することの方が多かったが。

一方のヘンゼルは、上げ膳据え膳の半軟禁生活にどっぷりと浸りきっている。ヘンゼルの部屋には、ドアの下の部分を切り取ってできた隙間から、グレーテルが食事を差し入れていた。兄妹はドア越しに話をすることしかできないが、ヘンゼルの声や話し方そのもののたるみ具合から現在の容姿が想像でき、顔を見られないことにグレーテルはむしろ感謝した。

いつまでこんな生活が続くのだろう。そう思うたび、グレーテルの心は暗澹たる気分に支配された。

 

 

「グレーテル、ベッドの用意をお願いできる?」

ビルギッタののんびりした声が聞こえてきた。言われるままにベッドメイクして居間に出て行くと、そこには小ぎれいな格好の農婦といった風貌の若い女性が座っていた。このような人里離れた一軒家に来客とは珍しい。この優しそうな女性のためのベッドメイクだったのだろうか。グレーテルは客と会釈を交わすと、ビルギッタを手伝って食事の用意を手伝った。

間もなく、3人で食卓を囲んで座った。といっても食事が用意されているのは客の女性だけである。この女性は以前森の中で道に迷い、行き倒れたところをビルギッタに介抱されて、地図を見せてもらい、無事に帰宅できたということだった。グレーテルは、ビルギッタが森の地図を持っていることを、この時初めて知った。

「相変わらず、食事をなさらないのね。本当に、どうして生きていられるのかしら。」

「イエス様の恩寵によって生き永らえております。このグレーテルと共にね。今の私にとってはこの生活が一番健康的ですよ。」

「では、そちらのお嬢さんも・・・?」

「この子は貴女と同じように、森を彷徨(さまよ)っていたんです。親に捨てられて帰るところがないというので、私と一緒に暮らし、共に救われるよう、お勤めをしています。」

ビルギッタの話にはヘンゼルのことは出てこない。彼女の意識の中ではグレーテルの教化を重視しており、ヘンゼルの存在はほとんど忘れてしまったように、グレーテルには思えた。眼を向けられたグレーテルが緊張気味にペコリと頭を下げると、客の女性は祝福の笑みを浮かべた。

「まあまあ、お若いのに何て殊勝なお心がけでしょう。お2人のお志はきっと天上に届いて、共に天国へと導かれましょう。」

女性は食事を終えると、持ってきた籠をテーブルに載せ、中から何かを取り出した。それは握り拳ほどの大きさを持った銀塊だった。銀はヨーロッパにおいて価値を計る基準として重要な位置を占めており、貨幣経済が未発達だった時代には貨幣の代わりに取引の仲介役を果たしていた。

グレーテルは実家にいた頃には銀など目にしたこともなく、この家で暮らすようになってからも、このように大きな銀塊を見たのは初めてであった。思わず身を乗り出して覗き込む。

「これはほんのお礼の印と、また神様への信仰のためにお役立て頂ければと思い、持って参りました。是非、お納め下さいませ。」

この女性は農婦とはいっても比較的富裕な独立自営農民だったようだ。ビルギッタに感化されて信仰心を深め、以来こつこつと財を貯めていたのだという。

「まあ、ありがとうございます。貴女にも神様のお慈悲がありますように。」

 

 

ビルギッタはグレーテルを伴って地下室へ向かった。ビルギッタの手には例の銀塊がある。地下室の掃除はいつもビルギッタがしており、グレーテルは地下に降りたことがなかった。もっとも、地下室への出入りを禁じられていたわけではなく、単にグレーテルが関心を示さなかっただけなのだが。

地下に降りる階段を降り切り、ビルギッタがドアを開けると、グレーテルは思わず目を見張った。金銀宝石、華やかな装飾品や洗練された美術品など、グレーテルが想像もできなかったような財宝の山である。

「ビルギッタ、これは・・・?」

うわずった声でそう訊くグレーテルに、銀塊を無造作に棚に置いたビルギッタがにこやかに答える。

「これらの大部分は、昔この村にあった教会への喜捨物よ。宝石類なんかは、さっきの女性のように、お世話したお礼として持ってきてくれたものも多いわね。」

「こんなにいっぱいの財宝を、一体どうするの?」

「そうねえ、どこかの修道院にでも寄付できればいいのだけれど・・・。いっそここに女子修道院でも建てようかしら。土地はたくさん余っているわけだし。」

そんな、もったいない。とっさにグレーテルはそう思った。これだけの財宝があれば、いや、このほんの一部でも手に入れば、貧しい実家も豊かになり、今度こそ追い出される心配もなく両親と暮らせるのだ。

「まあ、でもまだ何も考えてはいないし、あまり興味もないわね。さ、行きましょうか。」

室内の財宝に向かって、熱の込もった視線を放っていたグレーテルに気づかずに、ビルギッタは静に室外に出た。グレーテルは、はっと我に返って、慌てて後に続いた。

 


 

6.決起

 

グレーテルは必死で考えた。どうすればあの財宝を手に入れることができるのか、そしてどうすればヘンゼルと一緒に家に帰れるか。一晩考え続けたグレーテルは、翌朝からある作戦を実行に移すことにした。

 

 

まずはヘンゼルを説得しなければならない。グレーテルは食事を差し入れながら、財宝のことを話した。

「その財宝を持って、家に帰りましょう。そうすれば貧乏ともおさらばできて、みんなで幸せに暮らせるわよ。」

「えー、別にこのままここにいればいいよ。人の物を勝手に持ち出すなんて、そんな恩を仇で返すようなことをしても、寝覚めが悪いだけだよ。」

案の定な返答である。ヘンゼルは、ここにいれば毎日働かずにお腹いっぱい食べられるのだが、たとえ財宝を手に入れたとしても家に帰れば働かなくてはならない。すっかり従順な家畜に成り下がったヘンゼルにとってどちらがより有益か、考えるまでもなかった。

だが、グレーテルはもはや1日たりともこの家にいたくなかったのだ。こうなったら騙してでもヘンゼルをここから連れ出すしかない。

「実はね、黙ってたけど、ビルギッタは魔女なのよ。だから食事もせず、魔術で生き続けているの。そしてお兄ちゃんをまるまると太らせて、食べてしまうつもりなのよ。」

「なんだって!?」

グレーテルの言葉を聞いて、さしものヘンゼルも声をこわばらせた。軟禁状態のヘンゼルにとってグレーテルは外部からの唯一の情報源であり、彼女による情報操作の影響力は絶大だったといってよいだろう。

「ど、どうすればいいんだ。食べられちゃうよ・・・。」

ヘンゼルのうろたえぶりは見苦しい限りだったが、グレーテルは失笑をこらえつつ兄を諭した。

「大丈夫、あたしが何とかして助け出してあげる。そしたら一緒に逃げよう。」

「ああ、わかった・・・。」

満足すべき返答を得て、グレーテルはドアの前を歩み去った。よほど不安に苛まれているのか、ヘンゼルの間断ない足踏みの音を聞きながら、グレーテルは我知らず不気味な笑みを浮かべていた。

 

 

5日後はちょうど四旬節明けの月曜日だった。四旬節の間、人々は肉食を慎むため、明けの月曜日にはおおいに飲み食いするという習慣が、中世のヨーロッパにはあった。元々食事をしないビルギッタには関係ないが、グレーテルはヘンゼルのためにご馳走を作ることを提案した。敬虔なカトリック信者であるビルギッタは、宗教的な習慣を尊重して、グレーテルの提案に賛成した。

ビルギッタの家の外には、小屋のような小さな建物があった。入り口は地上から階段で1メートルほど登ったところにある。実はこれは大型の(かま)であり、かつてはベーコンを大量に作ったり、大きな肉を焼いたりする(家畜の丸焼きなど)時に使ったと思われる。住人がビルギッタ一人になってからは、もちろん1回も使用されていない。グレーテルはこの窯を使おうと言い出した。

「そうね、今日は特別な日だし。」

そう言って、ビルギッタはグレーテルの提案をあっさりと受け入れた。

早速料理の準備が始められた。鶏を絞める。卵やチーズや豚肉の塩漬けを用意する。菜園から野菜やハーブを採ってくる。グレーテルは鶏や豚を焼くために、例の大窯の準備を始めた。内部の掃除をし、薪をくべ、火種を入れる。充分に温度が上がったところで、彼女はビルギッタを呼んだ。

「火がなかなか大きくならないの。ちょっと見てくれる?」

「そうなの? どうしたんでしょうね・・・。」

ビルギッタは何の疑いも持たずに階段を登り、ドアに手をかけた。鉄製のドアは重いため、勢いをつけて開ける必要がある。ドアを開ければ、必ず全開になった。

すかさずグレーテルは階段を駆け上がり、劫火燃え盛る窯の中にビルギッタを突き飛ばした。断末魔の絶叫を聞きながら、急いで思いドアを閉めて鍵をかける。グレーテルは息を弾ませながら、ビルギッタを焼いている窯をしばらく凝視していたが、ついと(きびす)を返して、家の中へ走っていった。

 

 

その頃、森の木の陰から一連の様子を見ている一対の人影があった。2人の男女は成り行きを呆然と眺めていたが、やがて何やら言い争いを始めた。

 


 

7.帰還

 

家の中に戻ったグレーテルがまず向かったのは、ビルギッタの書斎だった。机の4番目の引き出しからヘンゼルの部屋の鍵を、そして一番右の書棚から森の地図を取り出す。毎日の掃除などで、既にグレーテルはビルギッタの持ち物のありかを把握していた。

目的の物を手に入れると、グレーテルはヘンゼルの部屋へ急いだ。

「お兄ちゃん、助けに来たわよ。」

叫びながら鍵を開けると、中からヘンゼルがよたよたと出てきた。

(うわ・・・!)

グレーテルは思わず目を逸らした。ヘンゼルはすっかり太っていて、全体的にも締まりがない。顔は丸みを帯び、以前のように優しいながらも毅然とした風貌はすっかり影を潜めている。グレーテルは、その変わり果てた顔を見ないようにしながら、兄を促して地下室へ向かった。

「グレーテル、痩せたのか?」

「・・・お兄ちゃんが太ったんじゃない?」

かつてはグレーテルの手を引いて走っていたヘンゼルが、運動不足のためにグレーテルの足についてくるのに息を切らせている。グレーテルは、何故だかこみ上げてくる涙を必死でこらえつつ、兄を先導して階段を駆け下りる。

地下室に鍵はない。そもそも誰かに奪われることなど、想定してもいないのだ。それどころか、これらの財宝に対する執着心そのものが、ビルギッタには希薄だったようだ。ヘンゼルは初めて財宝を目の当たりにして息を呑んだ。その間にグレーテルは、なるべく嵩張(かさば)らない宝石や金貨などを手当たり次第に2つの袋に詰め込んだ。

それにしても、グレーテルのてきぱきとした仕事振りは惚れ惚れとするほどで、ヘンゼルは思わず目を見張ってしまう。彼女はビルギッタと共に家の中の一切を取り仕切り、その上現状を打開する方策を一人で考え、実行したのであり、この短期間に急速に精神的な成長を遂げていた。一方のヘンゼルは飼い殺しの生活に甘えきっており、別人のように成長した妹と比べると、成長どころか退嬰ぶりばかりが目に付いた。

「どうやって家に帰る? 道はわかるのか?」

「地図があるわ。」

兄の質問に答えてグレーテルは地図を広げ、的確に家へ向かうルートを指し示した。

外に出てから、ふと気づいたようにヘンゼルが訊いた。

「ビルギッタはどうした?」

「・・・死んだわ。」

微妙な間にヘンゼルは違和感を覚え、訊き返そうとしたが、ちょうどその時、2人は例の大窯のそばを通り抜けた。窯の煙突は真っ黒な煙を吐き出し、まさにフル稼働中といった態である。

卒然、ヘンゼルは身震いを覚えた。何やら言い知れぬ恐怖感に襲われたのだが、その恐怖の正体について、彼はしばらくの間気づかなかった。

 

 

どれくらい歩いただろうか。目の前に川が出現した。地図にも載っており、ここを渡れば家はもう目と鼻の先である。だが、川の手前で2人は立ち止まった。

「川幅が広い。どうやって渡るんだ?」

不安そうな声を出すヘンゼルを、グレーテルは睨みつけた。こんな時こそ、兄であるヘンゼルが事態を打開するべきではないのか。この2ヶ月あまりでヘンゼルはすっかり依存体質になってしまったようであった。しかしグレーテルはもはや何も言わなかった。

「あそこにいる白鳥に渡してもらいましょう。」

言うが早いか、グレーテルは川岸にいる大きな白鳥のところへ行き、対岸まで渡してくれるよう交渉した。

「いいですよ。子供2人くらい、楽なものです。」

白鳥は快く承諾した。早速グレーテルが白鳥に乗ると、ヘンゼルもそれに続いて乗ろうとする。

「待って、あたしたちは今、重い荷物を持っているから、見かけよりも重いのよ。2人で乗ったら白鳥さんの積載能力を超えてしまうかも知れないでしょ。お兄ちゃんはちょっと岸で待ってて。」

グレーテルがそう言うと、ヘンゼルは俯き、聞こえないくらい小さな声で「わかった・・・」と呟いた。ヘンゼルは今や妹の指示に唯々諾々と従うだけの存在と成り果てていた。

白鳥はグレーテルのてきぱきとした言動に内心感服しつつ、最初にグレーテルを、次いでヘンゼルを、無事に対岸へ運んだ。グレーテルが礼を言いつつ金貨を差し出すと、白鳥は笑って謝絶した。その笑いは心なしか寂しげにも見えた。

「困っている人を見たら助けるのが当然です。しかしそのようなものも、徐々に失われていくものなのかも知れませんが・・・。」

グレーテルの、きょとんとした顔を見ると、白鳥はもう一度穏やかに笑い、悠然と去って行った。

 

 

2人の目に、ついに目的地たる懐かしい我が家が見えてきた。

「見えてきたわ。あそこよ。」

嬉々としてそう言うと、グレーテルは飛び跳ねるように駆け出した。体力の落ちているヘンゼルは、この時疲労困憊の極にあったが、目的地を目の前にして気力を奮い起こし、グレーテルに続いて、重い足取りながらも走り出した。苦難を乗り越えて、ついに帰ってきたのだ。そう思うと、2人の胸にはそれぞれの感慨が湧いてくる。

グレーテルが家の中に飛び込むと、そこには父親が椅子に座って机に頬杖をついていた。彼はグレーテルと、続いて入ってきたヘンゼルを見ると、驚いて立ち上がり、次いで喜びに相好を崩した。

「グレーテル! ヘンゼルも、よく無事に帰ってきてくれた。」

「お父さん・・・。」

「お父さん、ただいま!」

父親は2人の子供を抱きしめた。その両目には涙が溢れている。

「お母さんは?」

ヘンゼルが父親に問うと、父親はやや戸惑ったような顔をしたが、

「・・・死んだよ。」

と答えると、2人はそれ以上の追及はしなかった。何となく微妙な空気を察したものの、この気の弱い父親を困らせることは、2人の本意ではなかった。

 

 

話はやや遡る。

グレーテルがビルギッタを大窯の中に突き落として焼き殺した光景を森の中から見ていた2人の人影があったことは、先に触れた。そのうちの1人が、うろたえた様子でもう1人に向かって喚きたてた。

「今のを見たかい? あの女性はきっとグレーテルがお世話になっていた人なんだよ。その恩人をあの娘は騙して焼き殺しちまったんだ。何て恐ろしい娘なんだ・・・!」

「でも、そもそも俺たちがあの子たちを森に捨てたりしたから、何が何でも生き残る術を覚えざるを得なかったんだろう。可愛そうに・・・。お前もそんなことを言うんじゃないよ。」

そう、この2人は誰あろうヘンゼルとグレーテルの両親だった。この2人はいつも木を切る場所を変えていたのだが、この日はたまたま少し足を伸ばして森の奥へ入り込んでおり、たまたまビルギッタの家の近くまで来ていて、娘の殺人現場を目撃することになってしまった。

「あの子たちはきっと帰ってくるよ。私を殺しに。恐ろしい・・・。逃げなきゃ!」

恐怖に目を血走らせた母親が呟くように言うと、父親は憐れむような目を彼の妻に向けた。

「私は家であの子たちを待つことにするよ。2人には酷い仕打ちをしたんだから、それくらいはしてやらないと。もし殺されても、それはそれで仕方がないじゃないか。」

「勝手にしな! 私は死ぬのなんて真っ平だよ。何が何でも生き延びてやるさ。子供たちが帰ってきたら、私は死んだと言っておくれ。」

そう言い捨てると、母親はやや早足に、家とは反対方向へと歩き去った。

 

 

「お父さん、これ、お土産。もう貧乏な生活をしなくてもいいのよ。」

グレーテルが袋から金貨や宝石を出して見せた。

「お前たち、これは一体どうしたんだい?」

「あのね、実は・・・。」

目を丸くする父親に、グレーテルは自分たちの冒険談を語り始めた。それは、魔女に食べられそうになったヘンゼルを救出し、返り討ちにするという、兄妹に都合のいいアレンジを加えた物語だった。

2人の背後で、ヘンゼルが微妙な表情で妹の話を聞いていた。

 


 

エピローグ

 

妹のグレーテルは、家に帰ってきてからは、お母さんの代わりに家の中を仕切っている。なんだか昔のお母さんのように口うるさい。昔はあんなに可愛かったのに・・・。

最近、グレーテルを見ていると憂鬱になる。女の子って、みんなお母さんのように口うるさくなって、そしていつかは本物の魔女のようになってしまうんだろうか・・・?

 

 

ヘンゼルお兄ちゃんは、なんだか頼りない。昔は「優しいお兄ちゃん」って思ってたこともあったけど、結局男ってそれだけじゃダメなのよね。もっとしっかりしてくれなきゃ。「魔女」の家から持ってきた財宝なんて、すぐ無くなっちゃうんだから、役立たずのお父さんの分まで頑張って稼いでもらわないと困るってのに、もう・・・。

いっそ、また森に捨ててきてやろうかしら?

 

 

グリム童話

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