眠り姫

 

1.誕生と呪い

 

その国の王には庶子は何人かいたが、美しい王妃との間には子がなかった。庶子たちはいずれも母親の身分が低かったため、王権がいまだに弱いこの時代においては、王位を継ぐには権威に欠けると思われた。

この状況が、宮廷に混乱をもたらす。王の愛妾たちは、それぞれが「自分の子を次期国王に!」と目の色を変える。貴族たちは、庶子たちのいずれを支援すれば将来の実権を握れるか、互いにけん制しあいつつ虎視眈々と狙っていた。また、子供のいない王妃に対しては、露骨な嘲笑と容赦のない軽蔑の視線が投げかけられた。国の将来を憂い、宮廷の秩序を望む者は、王妃に子の誕生を願った。それらのすべてが、王妃に無言の重圧となってのしかかった。

 

 

ある時、王妃は馬で森へ遠乗りに出かけた。

王妃は東の王国の出身。古の騎馬民族の血を引く彼女は乗馬を好み、この手の気分転換をよくやった。

「ああ、いい汗をかいたわ。ちょっと水浴びをしていきましょう。見張りをお願いね。」

森の中で泉を見つけると、王妃は晴れ晴れとした表情でそう従者に言い、迷いなく衣服を脱ぎ始めた。全裸になった王妃は、清水の感触と冷たさをいとおしむように、水中を泳ぎ、時々潜ったりした。

浅い泉の中に立ち上がって髪を漉いていると、ふと若い男が木陰からこちらを見ているのを見つけた。服装などから、吟遊詩人と思われた。見張り役の従者は何をやっているのだろう。2人の目が合う。時間が止まったようだった。悲鳴を上げることも忘れていた。男が泉に歩み入ってきた。吸い寄せられるように、王妃も男に近づいていく。

お互い、相手が誰なのかも知らなかった。そんなことはどうでもよかったのかも知れない。水際で、むさぼるように唇を吸いあった。王妃の手は男の首に絡みつき、男の手は王妃の豊かな乳房を揉み上げる。男の唇が王妃の首筋を這うと、王妃の唇からは微かな喘ぎが漏れた。やがて、木にもたれる王妃を男が貫く。

何度も、何度も、夢中で愛し合う2人を、少し離れた木陰から覗く女がいた。

 

 

「おめでとうございます。王妃様はご懐妊されましてございます。」

宮廷医師の厳かな宣告に、王は満面の笑みをもって報いた。しかし、王妃は表面上は笑顔を作りつつも、内心は恐怖に似た思いにとり憑かれていた。お腹の子が、あの時の子だとは限らないのだが、何も知らない王の喜びようを見るほど、王妃はますます身の置き所のない気分になっていった。王妃の心には常に黒い靄がわだかまり、それがやがて生まれてくる子をも真っ黒に染めてしまうのではないかと、心配になるほどだった。

 

 

月が満ち、美しい姫君が誕生した。姫はクローネと名づけられた。

1週間後、クローネ姫の生誕を祝う宴が催され、3人の仙女が招かれた。3人はそれぞれ、姫に祝福の言葉を贈ることになっていた。

1人目の仙女は言った。

「姫様が幸せで長生きできるよう、私は姫様に健康を贈りましょう。」

仙女による祝福とはいっても、あくまで儀礼的なものである。仙女だからといって、特別な力があるわけでもないのだ。このような儀式に何の意味があるのか、いささか疑問に思わないでもない王だったが、妊娠期間中ずっとふさぎこんでいた王妃を、めでたい言葉で元気付けたいという配慮でもあった。

2人目の仙女が進み出た。まだ若いこの仙女は、にこやかな1人目とは違い、陰鬱な雰囲気だった。周囲がざわつき始める。どう見ても、祝宴にふさわしいとは思えなかった。

「この娘は、呪われた娘さ・・・。」

仙女の一言が、場の空気を凍りつかせた。

「この娘は、王妃がどこの誰ともわからない男と寝て、できた子なんだ。私は見てたんだよ、あの泉でね!」

その場にいた全員の視線が王妃に集中した。蒼ざめて硬直した王妃の表情は、それが真実であることを雄弁に物語っていた。

実は、あの吟遊詩人はこの仙女の恋人だったのだが、あの泉で愛し合った女性が忘れられず、相手が王妃であるとは知らない男は、どこへともなく旅立ってしまったのだ。王妃のせいで恋人に逃げられた若い仙女は王妃を恨み、祝宴をぶち壊すべく乗り込んできたのだった。

「何が王女だ。この娘は王家の血すら引いていないんだよ。卑しい吟遊詩人と淫売女の血を引いてるだけなのさ!」

仙女のヒステリックな笑い声を、招待客たちは呆然と聞いていた。

「私がこの娘にくれてやる贈り物は、これさ。この娘は15歳の時に、糸巻きの紡錘(つむ)に刺されて死んでしまうだろう。呪われた姫君には似合いの・・・」

突然、仙女はセリフを中断させられた。次の瞬間、彼女の頭部は、鈍い音とともに床に転がっていた。王の命令により、首を刎ねられたのだ。王と王妃、そして生まれたばかりのクローネ姫の名誉のためである。

 

 

王はこの場に居合わせた全員に緘口令(かんこうれい)を敷いた。

姫が自分の娘ではないと知っても、姫に対する王の愛情は揺らがなかった。むしろ、重い十字架を背負って生まれてきてしまった姫に対する愛惜の情はいや増すばかりだった。

問題は、自分以上に滅入ってしまっている王妃だった。ひた隠しにしなければならない事実を王に知られたばかりか、せめて姫に祝福をと思っていた場で呪いを受けてしまったのだ。自らを責めて、発狂しかねない様子は、あまりにも痛ましかった。

王はそんな王妃の肩を抱き寄せ、優しい言葉をかけた。

「そなたが自分を責めることはない。そなたに子が授かったことこそ、めでたいではないか。姫は、今から私の娘だ。2人で、姫を愛しんで育てていこうではないか。」

王妃は涙に濡れた顔を上げ、王の慈愛に満ちた微笑を見ると、ややほっとしたようだった。それでもその貌から翳りが消えることはなかった。

「でも、呪いが・・・。」

その時、残った背の高い仙女が王妃に歩み寄った。

「ご安心下さい。一度かけられた呪いを取り消すことはできませんが、それを和らげることはできます。私からの贈り物です。姫君は紡錘に刺されても死にません。永い眠りに就くだけです。」

その言葉を聞き、王妃ばかりではなく参列者全員がほっとした。一同の緊張した空気が緩んだ。

王は不満だった。どうせなら先ほどの仙女の呪いを全部取り消してくれればよいものを。まあよい。呪いを取り消すことができないなら、呪いが発動する条件を抹殺してしまえばよい。

この時、王は普段の冷静さを欠いていたように思われる。かくして、その日のうちに前代未聞の命令が発令されることになる。

 

 

「国内にあるすべての糸巻き車を焼却処分せよ。」

 


 

2.糸紡ぎ部屋

 

念願の王位継承者が誕生したため、庶子たちの暗躍もおさまり、宮廷内の醜い後継者争いも一段落ついた。久方ぶりに、宮廷は平穏な空気が支配するようになった。

クローネ姫はすくすくと成長していった。特に美貌と健康面は申し分なく、姫は国中の人々に愛された。

 

 

クローネ姫は15歳になった。

王位継承権第一位のクローネ姫には様々な教育が施された。文学や詩、音楽などの、一般の姫君としての教養の他、政治学や各国の情勢をも叩き込まれた。周囲からの期待の大きさは、無言の重圧となって姫にのしかかっていたに違いない。

あるとき、クローネ姫は、息抜きに馬で遠乗りに出かけた。母親に似て見事に馬を乗りこなす姫が本気で馬を駆けさせると、2人の従者はついてこられなかった。

国境近くの村で、姫は馬を下りた。こんなに遠くまで来たのは初めてだった。既に日は傾き、山の端にさしかかっている。周囲には、すぐそこまで迫った冬に備えて、干草の山がそこここにできていた。

村はずれの小屋の中で、若い女たちが集まってお喋りしながら何かをしている。姫は国内の色々な場所に出かけていくのが好きで、その都度様々な仕事や遊びに興味を持ったが、なにしろ王位継承者でもある姫には、みんなはすべてを見せてはくれない。しかしここでは姫の顔は知られていない。

姫は小屋に近づき、窓から中の娘たちに声をかけてみた。

「こんにちは、楽しそうね。ねえ、何をやってるの?」

娘たちの手と口が一瞬止まった。村人はどこでもよそ者に警戒心を強めるが、姫はいつもその愛らしい笑顔で、彼らの警戒心を容易(たやす)く解いてしまうのだった。また、馬に乗っていた姫の男のような服装から、高貴な姫君だとバレなかったことも、彼女らの警戒心を解くことに貢献したに違いない。

(いと)(つむ)ぎよ。なあに? 糸巻きも見たことないの?」

そう、からかうように言って、彼女たちは姫を手招いた。

「糸巻き? 見たことない。」

「あ、聞いたことある。最近、遠くの村では糸巻きを全部燃やされちゃったって。」

「えー、糸巻きがなくちゃ何もできないよねー。」

中に入ってみると、小屋は案外広かった。使い込まれた仕事場らしく小奇麗な室内に、暖炉が1つ、長テーブルが2つに椅子がたくさん、そして糸巻き車が5台置いてあった。この時代、糸紡ぎは女の重要な仕事の一つで、老いも若きも糸紡ぎに相当の労力を費やしていた。たいていの村では、女性は村の特定の場所に集まって糸紡ぎの作業をした。それは一戸建ての小屋であったり、誰かの家の一室だったり、様々だが、それらは総称して「糸紡ぎ部屋」と呼ばれていた。糸紡ぎ部屋では、みんなただ作業をするだけではなく、色々な話をした。情報交換や世間話、それに男がいるところでは(はばか)られるようなあれやこれやが、笑いさざめきの中で飛び交った。糸紡ぎ部屋は女の世界だったのだ。

クローネ姫は自分の身分を隠し、偽名を名乗った。服装からも、ちょっと金持ちの商人の娘で通った。糸紡ぎ部屋の女たちは、糸紡ぎも知らないこの女の子に興味を持ち、あれこれとかまってくれた。

「これが糸紡ぎ? なんだか楽しいわね。」

「えー、本当に?」

「あーわかるわ。あたしも最初の頃は『面白い』って思ってたもんね。」

「それが毎日になると、だんだん苦痛になってくるんだよね〜。」

思いもかけない珍客に、若い娘たちはいつも以上にはしゃいでいた。

 

 

やがて夕方の薄明かりの残骸も駆逐され、宵闇が小屋の周囲を支配しつつある頃になると、いつの間にか小屋の人口が減ってきていた。既婚女性たちが食事の準備や家族の世話のため帰宅したからだった。残った娘たちの一人が、仔細ありげにクローネ姫に訊いた。

「ねえ、まだ帰らなくても大丈夫?」

「?うん、別に大丈夫だけど・・・。」

「このあと面白いことが始まるから、よかったらもう少しゆっくりして行かない?」

姫が好奇心に目を輝かせると、周りの娘たちはみな委細ありげにクスクス笑った。

間もなく、どこからともなく小屋に向かって歩いてくる足音が聞こえ始めた。それも1人や2人ではない。ノックの音が聞こえ、娘の一人がドアを開ける。入って来たのは、娘たちと同年配と見られる若い男たちだった。

元々、糸紡ぎ部屋は女たちの世界だったのだが、いつしか別の側面をも持つことになる。夜になると昼の仕事を終えた独身男性たちが集まってくるようになったのだ。こうして昼は女たちの世界、夜には若い男女の社交場という2つの顔を見せるようになった。社交場といっても、ここは18世紀の上流階級の夜会ではない。歌やダンスには卑猥なものが多く、男女入り乱れてのどんちゃん騒ぎはほぼ日常化していた。時には、実際に情交に及んでしまうこともあったと考えられる。

何人かの男は、この新顔の美しい娘に興味津々となり、王女とも知らずに取り囲んであれこれと話しかけた。内容はたわいもないものだったが、クローネ姫にとっては初めての、なんとも濃厚な夜の雰囲気は、昼間の娘たちの話以上に刺激的だった。

ふと気づくと、部屋のあちこちで男女が抱き合ったり、接吻したり、早くも喘ぎ声をあげている者すらいる。人々の昼間の様子については見聞の広い姫も、男女の営みにはいまだ馴染みがなかった。物珍しいものでも見るように、それらの様子を見ていると、一人の男が近寄ってきた。

「あれって、すごく気持ちいいんだよ。」

「へぇ、そうなんだ・・・。」

なおも食い入るように見入っている姫には、舌なめずりする男の表情までは見えていなかった。

「俺たちも、やってみようか?」

 

 

 


 

3.永い眠り

 

「姫はまだ帰らんのか!」

王の怒鳴り声は、石造りの王城内に残響を伴って響き渡ったであろう。しかし、焦って騒ぎ立てているのは、クローネ姫を溺愛する王ばかりではなかった。実際にクローネ姫の帰宅は遅すぎた。

やがて姫の従者たちが王城に戻ると、早速殺気立った王の前に蒼ざめた顔を並べるはめになった。2人は床にひれ伏した。当時の城の床はイグサが敷き詰められていたが、その下は清掃されておらず非常に不潔であった。恐らく酷い悪臭があったはずだが、彼らにはそんな余裕もなかったのだろう。

「姫は・・・、お前たち、姫はどうした。なぜ一緒ではないのだ。」

「申し訳ございません。姫様のお馬は足が速く、途中で見失ってしまいました。今まであちこちをお探し申し上げたのですが、いまだ見つからず、もしやお先にお帰りになられたのではと、戻ってみたのですが・・・。」

今度こそ本当に絶望したかのように、王の顔からは血の気が失われ、その目は虚空を彷徨う。王が倒れ伏すのではないかと、側近たちが駆け寄ると、王はやおら立ち上がった。

「この、役立たずどもが! こやつらの首を刎ねて城門に晒せ!」

「お待ち下さい。この者たちの首を刎ねるなど、いつでもできます。今はそんなことよりも、総出で姫様をお探しするのが先決。」

狂ったように喚く王とそれを必死で押し止める重臣たち、恐怖に震えつつ頭を臭い床に擦り付ける従者たち、そして姫を探すべく殺気に似た緊張感を帯びて飛び出していく兵士たち。その様子を盗み見ていた小間使いたちを通じて、パニックはあっという間に王城中に広まった。

渦中のクローネ姫がふらりと王城に戻って来たのは、夜半も過ぎた頃だった。

「姫、姫・・・。よくぞ無事で・・・!」

「もう、もう、生きた心地がしませんでしたよ・・・。」

王も王妃も、知らせを受けるや、まろぶように駆けつけ、涙を流しながら姫を抱きしめた。今まで帰りが遅くなるどころか、両親に隠し事すらしなかった、天真爛漫な姫が行方不明になったのだ。心配するのも無理はないだろう。

一方のクローネ姫は、王城に戻って以来、終始ぼうっとしており、心ここにあらずといった風情だった。

 

 

大騒ぎだった夜が明けると、クローネ姫の2人の従者は改めて王に謁見を願い出た。2人はひたすら平身低頭し、王の寛恕を乞う。

「もうよい。姫も無事に戻ったことだし、お前たちを殺しても何にもならん。今後は重々気をつけ、今まで以上に誠心誠意、姫に仕えるように。」

2人の従者は頭を床に打ちつけんばかりにして、何度も感謝の言葉を発し、引き下がった。

2人の従者は、目を覚ました姫が着替え終わった頃合いを見計らって、姫の部屋を訪れた。いくら従者といえども男性である2人は、気軽に姫君の寝室に入るわけにはいかない。姫が着替えを済ませたことを女官に確認した上で入室した2人は、そこにありえない光景を見出して仰天することになる。着替えを済ませていたはずのクローネ姫が、全裸でそこに立っていたのだ。

「し、失礼致しました!」

「待ちなさい。」

慌てて退出しようとする2人を、クローネ姫が引き止める。室内には姫と従者たちだけで、なぜか女官たちの姿はない。クローネ姫の裸体は、15歳とは思えないほど成熟しており、豊かな乳房や細くくびれたウェストなど、従者たちは見ないように努めながらも目を離せなかった。

クローネ姫の白魚のような指が従者の服のボタンにかかる。彼が身体を硬直させている間に、その衣服はどんどん脱がされていった。

「な、何をなさるのですか。」

「いいから、黙ってあたしに任せて。」

やがて、従者の筋肉質の身体を、姫の舌が這いはじめた。従者はたまらず身をよじらせる。姫の唇は次第に下方へと進み、はちきれんばかりに巨大化しているものを弄ぶ。

「何してるの。あなたも早く脱ぎなさい。」

従者の身体を嘗め回す裸の姫君という、信じられない光景を横から呆然と眺めていたもう一人の従者は、クローネ姫にそう命じられると、蛇に睨まれた蛙よろしく、唯々諾々と服を脱ぎ始めた。

 

 

クローネ姫のご乱行の噂は、あっという間に宮廷中に、いや王都中に広まった。姫の部屋には様々な男たちが連れ込まれた。それは、宮廷に出入りする騎士はもちろん、王の侍従、庭師、出入りの業者、吟遊詩人、果ては聖職者に至るまで、まさに見境なしである。クローネ姫は、いまや男なしではいられない体になってしまったようだった。

王は最初、姫を叱りつけた。今まで姫には見せたことのなかった、厳しい父親の顔だったが、クローネ姫は興味なさそうに欠伸(あくび)をするだけだった。以前とはまったく人が変わってしまったとしか思えなかった。

「姫、いったい何があったのだ。どうしたら元の真面目で快活な、私たちのクローネ姫に戻ってくれるのだ。あの夜に、何があった?」

いつの間にか、王は涙ながらに姫に訴えていた。姫の奇行が、あの深夜帰りの夜をきっかけとしているであろうことを推測するのに、それほど鋭い直感を必要とはしなかった。

「糸紡ぎ部屋で・・・。」

と言ったきり、姫は口元を扇で隠して嫣然(えんぜん)と微笑するのみである。王はそれだけで、おおよその事情を察したのであった。

 

 

さきに述べた糸紡ぎ部屋の実態については、各国の王を初めとした封建領主たちは基本的に不干渉の態度を取っていたが、王の中には、風紀紊乱(びんらん)の温床として苦々しく思う者もいた。糸紡ぎ部屋の禁止令もたびたび出されたものの、効果はほとんどなかった。当時王権はまだそこまでは及んでいなかったのだ。

今回に関しても、糸巻き車の焼却令が15年も前に出されているにもかかわらず、王都から遠く離れた辺境地域までは行き届いていなかったのだ。

 

 

王はクローネ姫を「眠ったまま目を覚まさない」と称して、北の塔に幽閉してしまった。王は結局自らの手で仙女の予言を実現させてしまったことになる。

紡錘(つむ)は男性器を象徴する隠語である。仙女が予言した「紡錘」とは男性器、「紡錘に刺される」とは男性との性的交渉を指していたのだと、関係者は今さらながらに悟った。どうしようもない虚脱感とともに・・・。

一方、塔に閉じ込められただけでは、クローネ姫の性癖はおさまらなかった。姫は自らの肉体で、塔の番人を買収した。こうなるともう幽閉とは名ばかり、北の塔はさながら娼館と化し、塔へと続く階段は姫の客で行列をなす、などとも言われた。

激怒した王は、北の塔の周囲に近衛兵を配置し、姫と関係を持って塔を出てきた男を捕らえて斬刑に処するに及んで、ようやく姫のもとに通う男は著しくその数を減らすことになったのである。

 

 

中世中期、ゴシック建築の教会堂などがようやくヨーロッパに広まりだした時代の城について、後世の大規模で豪華絢爛な城を想像すると、その地味な姿にいささかがっかりするだろう。たいてい2階建て(+屋根裏部屋)の、ずんぐりとした形態。塔は王城の城壁に設置された、見張り用の軍事施設で、やはりずんぐりとしていて高さはあまりなかった。

塔の周囲には近衛兵が配置されていたが、命知らずの若い男が見張りの隙を突いて塔に侵入することは時々あった。姫が塔からロープを下ろしていたからだ。

侵入してきた男たちは、例外なくクローネ姫の肉体の(とりこ)になった。彼女の成熟した肉体は見た目だけではなく、その色白な肌はしっとりとした潤いを持ち、きめ細かく、かつ吸い付くような触感であった。豊かな乳房や尻も「重さ」を感じさせず、マシュマロのような手触りで、男たちを魅了する。

加えて、彼女は男たちを喜ばせる技術に長けていた。男たちは彼女の指に、舌に、そして肌に、幾度も頂点に突き上げられた。記憶は途中から漂白されつつも、ただめくるめく官能だけが、脳髄にはっきりと刻印されていく。

 

 

王は、姫が外部から男を引き込むことに関しては、ほとんど黙認していた。姫の性欲は、ほどほどに発散させないと、どのように暴走するかわからないからだ。さすがの王も諦めたようだった。

ただし、王は塔から出てきた男たちに対しては、一切の容赦をしなかった。彼らは姫の部屋で夢のような数日を過ごしたあと、出てきたところを(ことごと)く近衛兵に殺された。塔からそれを遠望する姫は、別に同情するでもなく

「フン、馬鹿な男。」

と、鼻で笑うのが通例だった。

 

 

いつしか、伝説が生まれた。曰く「王城の北の塔には、美しい『眠り姫』がいて、それを一目見ようと侵入した者は二度と生きて帰れない」。

 


 

4.放浪の王子

 

塔の部屋に、1人の男が飛び込んできた。

前の男が去って(そして殺されて)から1週間ほど経っていた。クローネ姫は、そろそろ次の男が欲しい頃合いであった。そんな時に飛び込んできた男は、ハンサムで明るい相貌の、しかしどこか品の良さを感じさせる好青年だった。クローネ姫は、一瞬さすがに驚いたが、すぐに嫣然とした微笑みを青年に向けた。

一方、塔の中の姫を目指して命がけの侵入を敢行したはずの青年は、当の姫を目の当たりにすると緊張のあまり目を大きく見開いたまま、大量の汗をかき、口を開閉させるだけで、一言も発することができなかった。傍から見ると、青年は飛んで火に入る夏の虫にしか見えなかっただろう。

クローネ姫はゆっくりと青年に近づき、彼の顔を両手でいとおしむように抱き、優しく包み込むように接吻(キス)した。

時が止まった。少なくとも、青年にはそのように感じられた。姫は青年の頬に、首筋に、さらに服の前をはだけで胸元に、次々と接吻の嵐を浴びせかけた。青年はその都度、短い声を発して身じろぎした。ふと、姫は青年の身体から離れ、彼を手招きするように両手を伸ばし、後ろ向きにベッドの方へと歩みだした。いつの間にか衣服は脱ぎ捨てられている。露わにされた乳房の揺れに吸い寄せられるように、服をはだけかけた青年はおぼつかなげな足取りで近づいていった。

 

 

夢のような時間のあと、クローネ姫は青年の心臓に頬擦りするようにして、訊ねた。

「ねえ、あなたどこから来たの?」

青年の頭はまだ半分くらい朦朧とした状態だった。夢うつつの状態で、彼は呟くように、ぽつりぽつりと話し出した。

「僕はここより東の方にある国の王子なんだ。1年くらい前から旅をしてるんだけど、1週間前に従者とはぐれてしまって・・・。」

「それでどうしたの?」

「町でここの塔の眠り姫の噂を聞いて、『眠り姫の塔に行く』と公言して、ここに来たんだ。僕がここに向かったという噂を聞けば、従者が僕と合流しやすいと思ってね。」

「ふうん・・・。」

相手の出自を訊くなど、クローネ姫にとってはほとんど稀有のことといえた。姫にとっては、相手は「男」であればそれでよかったからだ。どうしてこの青年に興味をもったのか、姫自身にもよくわからなかった。

「でも、ここで貴女を一目見たら、そんなことは全部飛んでしまったよ。貴女はなんて・・・。」

熱く語る王子のセリフを、クローネ姫は上の空で聞き流していた。

 

 

他の男たちと同様に、王子は姫の肉体に夢中になった。王子はひたすら、姫の肉体を(むさぼ)り尽くさんばかりに愛撫した。クローネ姫は、時には娼婦のように、時には獣のように、王子を受け入れ、求め続けた。いつしか、王子の記憶は飛んだ。いつ交合したのか、王子はほとんど覚えていなかった。2人の営みは、それほど激しかった。

寝物語に、クローネ姫はよく旅の話をせがんだ。姫はもう何年も北の塔に幽閉されており、男を引き込むことはできても、自分が外に出ることはできないため、外界の情報に飢えていたのだ。あちこちを旅している王子は、色々の土地の様子やそこでの出会い、様々なエピソードなどを面白く話し、姫を楽しませた。

 

 

しばらくすると、塔の窓から王子の従者の姿が、ちらちらと見え隠れするようになった。王子は迷った。彼はいまやクローネ姫なしではいられない身体になっていた。しかし王子は言った。

「姫、僕はもう行かなければならない。元々1年経ったら国に戻るよう、言われていたんだ。」

「そんな。行かないで! 私のためにここにいて! 塔を出たら、近衛兵に殺されてしまうのよ。」

ほとんど反射的に姫は叫び、王子に抱きついた。いつの間にか、クローネ姫は王子をすっかり気に入っていたらしかった。長い旅で様々な経験を積んでいるにもかかわらず、純真といってよいほどスレていない王子に、今はもう失われてしまった、かつての己の姿を知らず知らず重ね合わせていたのかも知れなかった。王子も、姫のすんなりした身体を抱きしめて、涙を流した。

結局、王子はそこから数日間塔に留まり、ようやくクローネ姫のもとを去る決心をした。最後に、2人は強く抱き合い、長く、深い接吻(キス)を交わした。

王子が塔を出ると、待ち構えていたように近衛兵が襲ってきた。王子は果敢に剣を振るってこれを蹴散らし、どうにか脱出に成功した。

 

 

クローネ姫は、いつもの生活に戻っていた。自分のもとを去った男には、もはや興味を抱かなかった。一人の男が去ったら、また別の男を引き込んで身を任せるだけだった。王子が去った直後に、自分が妊娠していることに気づいたが、そのことを気にする気配すらなかった。

やがて季節は巡り、クローネ姫は男女の双子を産んだ。男の子は「ジャン」、女の子は「ジャンヌ」と名づけられた。姫は双子の赤ん坊を侍女任せにして子育てすら放棄し、子供たちの父親たる王子のことを気にすることもなく、昼も夜も、ひたすら男を求め続けた。

王も王妃も、そんな姫にもはや何も言おうとはしなくなってた。

 


 

5.王子、再び

 

「お二人がまたいなくなられました。」

「仕方がないのう。また2、3人で探させよ。そうそう、よく行く家への連絡も忘れずにな。」

二人とは、ジャンとジャンヌの双子のことである。5歳になった双子はしばしば一緒にどこかへ姿を消すことがあった。最初のうちこそ、城中が大騒ぎになったが、最近では皆慣れてしまったようだ。いつの間にか、王都のあちこちに双子の馴染みの家ができ、そこから城へ連絡が入ることもあった。

この日の双子は、裏通りを歩いていた。この頃のヨーロッパの都市の衛生状態は、劣悪そのもので、裏通りなどは特に酷かった。都市の人口流入制限もまだあまりなく、ほとんど無計画といってよい人口増加傾向にあった。ところが、都市は城壁で囲まれているため、都市の面積は簡単に広げるわけにもいかない。そこで、既存の建物に上階を建て増していくことになる。町には粗末な高層建築(たいてい3〜4階建て)が立ち並び、狭い路地の上で繋がっている家すらあり、1日中陽光も当たらない場所も珍しくなかった。その上、きちんとしたトイレ設備など、どこにもなかった。王侯の城でさえ、トイレで発生した汚物はそのまま裏庭に投棄しているだけで(それすらほとんど利用されず、廊下や庭先で排泄行為をする者が跡を絶たなかった)、一般の家ではその都度街路にぶちまけていた。大通りは一応定期的に清掃された(その代わり、都市壁の外に汚物の山ができた)が、裏通りには常に悪臭がたちこめており、不衛生極まりない状態である。

双子はふと立ち止まった。目の前には、男が汚れた格好で座り込んでいる。よく見ると、頭巾や服装も立派なものだが、体中が泥で汚れており、おまけに顔の大部分を無精(ぶしょう)(ひげ)が覆っていて、ぱっと見からは浮浪者としか見えなかった。

男は顔を上げた。男の虚ろな視線と、双子のまっすぐな眼差しが正面からぶつかる。なぜか、3人とも目をそらそうとはしない。

「どこへ行きたいの?」

「王宮へ・・・。」

双子は互いに視線を合わせると、それぞれに男の腕を掴んで引っ張り起こした。

「こっち。」

先導するように歩く双子の後を、男はややふらつきながらついて行く。怪我(けが)をしているのか、右足を引きずりながら歩く。3人はすぐに大通りに出たが、王宮とは反対側に歩き出した。

双子が向かう先には、王宮にも頻繁に出入りしている豪商の屋敷があった。どうやらこの屋敷は、双子の「馴染みの家」のひとつだったらしい。慣れた手つきでドアをノックすると、メイドが出てきて、双子の姿を確認すると一旦奥へと引っ込んだ。

間もなく、額から頭頂にかけて、いっそ気持ちよいくらいに禿げ上がった、恰幅の良い中年の男が迎えに出てきた。豪商でもある、この屋敷の主人である。

「ようこそ、お坊ちゃま、お嬢様。・・・おや、こちらは?」

男の服装が高貴な身分をもつ者のそれであることに、一目で気づいたらしい。

「王宮へ行くの。」

「王宮へ・・・?」

よくよく見れば、なりは汚いが、人品骨柄卑しからず。豪商は慎重な目つきで、男と双子を交互に眺めた。

「何やら仔細がありそうですな。どうぞこちらへ。」

 

 

空腹にもかかわらず、出された食事にがっつくこともなく、マナーに則った節度のある態度で食事を終え、丁寧に謝意を示した青年を見て、豪商は内心で納得の肯きをひとつした。

この時青年は、豪商の指示によって用意された浴室を使って体の汚れを落とし、髯をきれいに剃って髪を整え、用意されたこざっぱりした服に着替えた青年は、育ちのよさが窺える、品の良いハンサムな青年に変身していた。

「失礼ですが、王宮とどのようなご関係がおありになるのか、よろしければお聞かせ願えませんか。」

青年を高貴な身分と見て取った豪商の口調は丁重だった。青年は決然と、しかし柔らかな物腰で応じる。

「私は、ここから200マイルほど東の国の第4王子、カッセルハイトと申します。6年ほど前、各地を旅する中で、この国の眠り姫の噂を聞き、ひと目お会いしたいと思い、この国を目指しました。途中、従者とはぐれながらもなんとかクローネ姫のもとにたどり着き、1ヶ月近くにわたって姫と愛し合うことができました。」

カッセルハイト王子の表情が、遠くを見るような、恍惚としたものに変化した。

「それは、信じられない、夢のような時間でした。しかし私には、同盟国の戦争に援軍を率いて赴くという役目があり、後ろ髪を引かれる思いで、姫のもとを去りました。」

屋敷の奥の方から楽しそうな声が聞こえてくる。この屋敷に来ると、中庭でメイドたちとかくれんぼをして遊ぶのが、双子のいつもの習慣だった。王子はその声を聞きながら、右足をさすった。

「その戦争でこの足を負傷し、敵の捕虜になってしまいました。王族を捕虜にしたということで、敵方の騎士は高額の身代金を要求しましたが、母国との交渉は難航したようです。私の王位継承権の低さもあり、高い金額は出せないと思ったのでしょう。私は母国の態度に絶望し、ただクローネ姫にもう一度会いたいという一心で脱走したのです。」

王子が語り終えても、豪商はしばらく言葉も出なかった。遊び疲れたのか、双子の歓声も已み、静寂が辺りを支配する。やがて豪商が、掠れた声を押し出す。

「いやはや、何という偶然でしょう。これも神様のお導きでしょうか。あなた様をここまでお連れした双子は、実はあなたとクローネ姫との間に生まれたお子様なのですよ。何故双子の父親があなただとわかるのかと申しますと、今までクローネ姫の塔から生還を果たした男性はたった1人だからです。そしてそのたった1人が、あの双子の父親なのですよ。」

今度は王子が驚愕に目を丸くする番だった。そしてその目には徐々に喜びの色が広がっていった。

クローネ姫の事情については厳重な緘口令(かんこうれい)が敷かれており、本来外部に漏れてはいないはずだったが、遠い国から取り寄せた珍しい宝飾品などを扱っているこの豪商は、王宮でも侍女たちから言葉巧みに様々な話を聞きだしていたのである。そのような裏事情など知らないはずの双子が、どうして迷いもせず王子を王宮に連れて行くための最適人者の所に連れてくることができたのか。王子と豪商は、同時に中庭の方を振り向いた。

「とにかく、王宮へ行って、王子として名乗りを上げるのです。そしてクローネ姫に求婚なさるのです。」

「ええ。そのために、この町に戻ってきたのですから。しかし、今の私では・・・。」

王子は(うつむ)いた。今の王子には何もない。財産も従者も、母国の後ろ盾すらなくした男が「王子」と名乗って王宮に乗り込んでも、門前払いされるのがオチである。

「ああ、ご心配なさらずに。従者や服装など、すべて私がご用立ていたしましょう。王様へも、私がお引き合わせいたします。」

豪商の真意を測りかね、怪訝そうな表情をした王子を見て、豪商は笑いだした。

「ご不審にお思いのようですな。しかし、これは私にとってもチャンスなのです。クローネ姫はこの国の王位継承権第一位ですが、求婚してくる人はいません。『眠り姫』という公式発表に対する警戒もあると思いますが、どうも姫の行状が密かに広まっているらしく、姫と釣り合うような高貴な身分の男性諸氏が皆嫌がっているというのが実情のようです。スリリングな遊びとしてならともかく、結婚相手としては難しいようですな。」

豪商はやや声を落として続ける。

「ですから、正面から姫に結婚を申し込まれるというのなら、王様は喜んでご承知なさいますよ。そうなれば、あなた様はこの国の次期国王です。現在の王様と次の王様に恩を売ることができれば、私の将来は薔薇色、というわけでして。」

王子は苦笑した。豪商のあからさまな野心の表明に、かえって信用する気になったのかもしれない。というより、もはや他に選択肢はなさそうだった。

王子は、豪商に将来の利権を約束し、自分の運命を託したのだった。

 


 

6.目覚め

 

一日、豪商が王宮を訪れ、謁見を申し出た。

「私が交流を持つ、東の王国の第4王子、カッセルハイト殿下が私のもとへご使者を寄越されましてな。このたび王子がこの国をご訪問され、3日後にご到着されるとのこと。そして、国王陛下とのご会見をご所望されておられます。」

それが豪商の口上だった。

「そなたがそれほど広範囲に人脈を持っているとは、知らなかった。しかし我が国は、かの国とそれほど親しく交流しているわけではない。それなのに、突然王族が訪問してくるという。一体なんのためなのだろうか。」

王は、見直したという風に、豪商を見たが、相手の意図がわからず、首を傾げる。

「それにつきましては、私も聞いておりません。一介の商人である私は、その立場にありません。しかし、今回の王子のご訪問は、我が国にとって有益なものになり得るものではないでしょうか。」

王は腕を組んで考え込む。中世は戦乱が常態の時代である。封建領主の間に何か問題があったとき、解決手段のひとつとして『フェーデ』すなわち実力行使が認められていた。その上、この頃の君臣関係は絶対的な服従関係ではなく、「条件付きの奉仕」を定めた「契約」に過ぎない。臣下に求められたのは絶対的な忠誠ではなく、君主を「裏切らないこと」であった。国王を含めた封建領主たちは、いつ巻き込まれるか知れない戦乱に戦々恐々としつつ、「君臣関係」という同盟を網の目のように張り巡らしていたのだ。大国の王と新たな関係を結べる機会があるなら、確かに願ってもないことだった。

予告された3日後、カッセルハイト王子が、豪商の整えた豪華な衣装をまとい、従者を従え、馬に乗って王宮に、今度は正面から乗り込んだ。

 

 

中世の王侯貴族の食事は、午前10時と午後4時の1日2食であり、主餐は午前の方の食事である。王とカッセルハイト王子の会見の席は、翌朝の食事の時に設けられた。会見には王妃も同席した。

開口一番、王子は自分とこの国との因縁を明かした。

「私は6年前にこの城の北の塔に侵入し、クローネ姫と関係を持った者です。1ヵ月後、同盟国の戦争に参加するために一旦は立ち去りましたが、姫のことが忘れられず、この国に戻ってきてしまいました。しかも、私との間に子供がいたと知り、これはもう運命だとしか思えません。」

王子の言葉に王と王妃が最初の衝撃から立ち直らない間に、王子は決定的な発言をした。

「私はクローネ姫に結婚を申し込みます。クローネ姫を幸せにすると、お約束いたします。」

「どうか、姫を末永くよろしくお願い致します。」

王子の求婚を、王は2つ返事で受け入れた。王も王妃も、独身のままで子供まで産んでしまった姫の結婚については、ほとんど諦めていた。すべてを承知で求婚してくれる、しかも身分の高い男性という願ってもない求婚者が現れた以上、王も王妃もチャンスを逃すわけにはいかなかった。

「クローネ姫は、この国の王位継承権第一位です。姫と結婚すれば、この国の共同統治者となる権利を得ることになります。私どもとしましては、そうなったらこの国にご滞在いただけるとありがたいのですが・・・。」

「もちろん、そうしたいと思います。私も母国での王位継承権が低く、帰国しても姫にたいしたことをしてあげられませんから。婿入りして、この国のために尽くしたいと思います。」

王と王妃はますます喜んだ。

 

 

やがてクローネ姫は、カッセルハイト王子と結婚式を挙げるために、10年ぶりに北の塔を出た。姫は「永い眠り」の呪いからようやく解放されたのだ。「結婚」に対して、姫は興味を持たず、久しぶりに会う息子と娘にさえ、関心を示さなかった。彼女はただ、行動の自由を得られたことを喜んだ。

クローネ姫は王子を覚えていた。しかし、それだけだった。今、王子に対しては何の想いもない。彼女にとっては、もう終わったことだった。

「とにかく王子の前では大人しくしているんだぞ。王子に見放されたら、もう・・・」

「うるさいわね、わかったわよ! とにかく、王子を幻滅させなければいいんでしょ!」

クローネ姫は両親に対して敬意を払おうともせず、顔をしかめて言った。もはや、以前のように聡明で優しい姫は、どこにもいなかった。

2人の結婚式はつつがなく挙行され、国中が祝賀ムードに沸いた。各地を旅したときに、王子は各地の名士たちに多くの知己を得ていた。王子は彼らを宮廷に招き、国王夫妻やクローネ姫にも紹介した。

挨拶の時、姫の目に単なる儀礼以上の何かが光るのを、王は見逃さなかった。

 

 

しばらくすると、王子の友人たちはしばしば王宮に姿を見せるようになった。なぜか、狙ったように王子の留守中に訪ねて来るのだ。王は何かを察していたようだが、溜息をつくだけだった。

王子は、旅での経験から交友関係が広くなり、外交や調停役などで遠くに出かけることがしばしばあった。また、自国の防衛や同盟国の援軍として戦争に行くことも多かった。父王の言いつけどおり、夫のいる間は大人しく振舞っていたクローネ姫も、一人になると途端にやりたい放題になった。あるときはまだ年端も行かぬ少年と一夜を過ごし、またあるときは昼間から2〜3人の男を自室に引き込んだ。王と王妃は、娘の振る舞いを見て見ぬ振りをしつつ、およそ人を疑うということを知らない純真な王子が、彼女の所業に気づかないことを祈るばかりだった。

 

 

何も知らないまま、王子は幸せになった。

 

 

 

グリム童話

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