裏☆諸葛孔明伝
壱
襄陽の郊外、隆中に不思議な若者がいた。姓は諸葛、名は亮、字を孔明といい、琅邪郡陽都の出身だというが、これはあくまで彼の本貫地が琅邪郡であるということを表しているに過ぎず、どこで生まれ育ったのかはわからない。田畑は傭人に耕させ、当人は邸にこもっているか、日向ぼっこをしているか、「梁父吟」を口ずさみながらふらふら歩き回っているか。要するにぐうたらなボンボン、という印象である。
そんなぐうたら孔明だが、学問の方はひとかどらしい。「らしい」というのは、第一に彼を高く評価する者と全く無視している者がいること、第二に知識人のサロンのような場にほとんど姿を現さないので、孔明の学識の程を知る者が少ないためだ。それでも司馬徽のような全国的に名の知られた学者が彼を高く評価したり、地元の名士・黄承彦が彼に惚れ込んで娘を嫁がせたりしたところを見ると、実は隠れた俊才なのではないかと推察される。
そんな孔明ももう二十七歳。いつまでもニートを続けているわけにもいかない。当時は、知識人たるもの、仕官して国のため社会のために役立つことが使命だと、考えられていた。平和な時代ならば孝廉に推挙され(通例は全くの受身ではなく、推挙を受けるための郡県への運動が不可欠だが)、中央の朝廷に出仕するか、郡や県の役所に採用されて地方官吏となるかだが、乱世となった昨今ではそのような面倒な手続きは不要で(というか、あまり機能していない)、「これは」と思う群雄のところに出向いて自分を売り込む(直接、又は伝手を使って間接的に)のが主流だ。つまり、仕える先を自分で選べる時代というわけである。
孔明は考えた末に一人の小軍団の長の名を思い浮かべ、軽く肯いた。
「各地を転戦してきた上に今も根拠地を持っているわけではない。彼の元にいれば全国各地の料理を食べられそうだ。」
*
「あれは誰だ?」
関羽が傍らの張飛をふり返って尋ねた。彼らは荊州刺史・劉表の客将である劉備の部将だが、関羽は、今しがたすれ違った主に付き従っている背の高い若者の顔に見覚えが無かったらしい。
「諸葛孔明先生っつって、今度新しく軍師になったらしい。」
「徐元直がいるのにか?」
「何でもその徐元直殿が推薦したらしいぜ。」
二人は劉備軍の双璧をなす武人だが、知識人に対する態度では正反対である。張飛は学識のある人を無条件で尊敬するが、関羽は学問を鼻にかける知識人を毛嫌いしている節がある。
「何でも諸葛先生は、もうすぐ曹操が攻めてくるから、さっさと新野を捨てて呉に逃げろって進言してるらしい。」
「逃げる? 一戦も交えずにか?」
関羽は露骨に嫌そうな顔をした。張飛が徐庶に聞いたという話によれば、劉表は病篤く、曹操が攻めてきても抗戦できないため、早晩降伏するだろう。現時点で曹操に対抗できるのは呉の孫権しかいないが、既に呉の重臣・魯粛とは書簡のやり取りをしており、これと同盟して曹操に当たることは、充分に可能だとのことだった。
「ふんっ!」
関羽はやはり気に入らぬ気に、足音も荒く去っていった。なにやら胡散臭げなものを感じ取ったようだった。しかし、さしもの関羽も、孔明が熱心に呉行きを推進している理由が、古来天下一の美味とされる呉の料理を食べたいためだとは、さすがに気づかなかった。
*
「呉の魯子敬殿がご到着されました。」
幕舎の外から声をかけられ、劉備は居住まいを正した。ここは新野ではなく、当陽を目前にした野営地である。
結局、事態は孔明が予言した通りになった。病死した劉表の後を継いだ劉jは、曹操が荊州に侵攻するや直ちに降伏の使者を送った。劉備は取るものもとりあえずという感じで新野を放棄して逃げた、はずだったが何故か新野・樊城の民十余万がぞろぞろとついてきてしまった。
まさかこのまま難民を引き連れて呉まで行くわけにもいかないので、仕方なく一旦江陵を目指すことにした。江陵の手前の当陽で、孔明が連絡を取っていた魯粛の訪問を受けたのである。
「呉では地元名士や北方出身の士大夫層に、曹操との講和、実質的には降伏を唱える者が多くおります。劉予州殿からも呉へ使者を立てて頂かねばならないでしょう。」
「了解しました。お戻りになる時にこちらの使者を同行させましょう。」
すると、傍らに控えていた孔明が進み出た。
「殿、私が使者として呉に参ります。」
劉備は驚いて言った。
「そなたは私の謀臣ではないか。私の傍らにいてもらわねば困る。使者ならば孫乾がおるではないか。」
「確かに孫公祐殿には外交の実績がございますが、それも元々交友のある相手だったり、比較的まとまりやすい交渉だったと思われます。今回は曹操への降伏に傾きかけている相手、また彼の国には私の兄がおり、魯子敬殿と連絡をつけていたのも私です。この役目は私こそ適任だと思います。」
「・・・。」
こうして孔明は劉備の説得に成功し、魯粛と共に呉へ赴くことになった。
孔明たちが呉に向けて出発した翌日、劉備軍は曹操軍の先鋒に追いつかれて散々に打ち破られ、命からがら漢津から夏口へ逃れた。一方、運良く虎口を逃れた孔明は一度孫権に謁見した後は何もせず、赤壁終戦まで有名な呉の料理を堪能し尽くした。
弐
「これは・・・!」
孔明は絶句した。目の前の料理を感嘆の眼差しで眺め渡す。
赤壁の戦の後、周瑜が江陵攻略にてこずっている間に、劉備が荊州南部四郡を制圧した。孔明は、この地域の実情を調査し行政機構を整える任務を帯びて、長沙郡の臨烝に常駐することとなった。
彼はここで初めて食べた湖南料理に衝撃を受けたのだ。湖南料理は現在では四川料理を超える、中国一辛い料理といわれているが、当時もやはりそれなりに辛かったのではないだろうか。ただし、当時中国には唐辛子は存在しなかったので、今日とはだいぶ違った味だっただろう。
いずれにせよ、長年マイルドな湖北料理に親しんだ孔明は初めての「辛さ」にハマってしまった。孔明は湖南料理で食欲を増進させ、激務を精力的にこなしていった。
*
南部での仕事を一段落させ、公安に戻った孔明を二人の新顔が迎えた。
一人は劉備の新しい正夫人である孫夫人。江東の孫権の妹に当たる。孫権は孔明の一つ年下なので、孫夫人はまだ二十代である。男顔負けの武芸の腕前で、侍女に至るまで武装して夫人の傍に控えており、劉備はいまだに夫人の室に通う時には戦々恐々たる心地だとも聞いた。初夜の時の劉備の動転した顔が見たかったものだと、孔明は密かに悔やんだ。
いま一人は旧知の人物である。龐統、字を士元といい、司馬徽の高弟であり、孔明の姉が嫁いだ龐山民の従兄弟に当たる。龐統は劉備に益州攻略を進言していた。孔明も益州は獲るべきだと思っていたので特に異存はなかったが、
「士元が益州に行くと言うのか。」
「仕方があるまい。益州から来た張松や法正、孟達とはもう何度も話し合った。先方も気心の知れた私が行った方が安心できるらしい。」
「・・・。」
今回の益州奪取計画は、漢中の張魯討伐のための援軍という名目で益州に入り、張松たちの手引きで一転成都に劉璋を襲って益州を手に入れるというもので、当然寝返りの手引きをしてくれる張松たちとの信頼関係が重要な要素となる。龐統が益州入りするということになれば孔明は荊州に残らざるを得ない。仕方なく、孔明は龐統に頼んだ。
「反転攻撃の際には速やかに知らせてくれ。私が援軍を率いて赴く。」
「承知した。その時には宜しく頼む。」
孔明は、辛いと評判の四川料理に思いを馳せ、龐統らの反転攻勢が一日も早く始まることを祈った。
*
「間もなく白帝城か。」
孔明は張飛、趙雲と共に援軍を率い、益州への途上にあった。
劉備・龐統らが益州入りしてから早二年近く、いまだに反転攻勢のきっかけがつかめないことに苛立った孔明は、秘密のルートで曹操に江東を攻撃させたり、さり気なく劉璋の傍に劉備が裏切るかもしれないといった情報を流したりして、影から決起を促していたのだが、それが漸く功を奏したのだ。
「益州の山椒が私を待っている。」
浮かれている孔明の元に急報が入った。
「龐統が死んだ・・・?」
さすがの孔明も呆然と呟いたきり、二の句が告げなかった。
*
実は龐統は益州入り直後から体調を崩していた。
益州の辛すぎる料理は、湖北料理で育った彼には刺激が強すぎたらしい。連日蒼白な顔で腹をさすり、軍議の間に何度も厠との往復を繰り返す有様。ちなみに、各地を転戦し、粗食にも耐え、時には飢えの余り兵士同士で互いに食い合う惨状まで経験した劉備は実に強靭な胃腸を有しており、要するに食えれば何でも良かった。
龐統は涪城に駐屯中も腹痛がおさまらず、何ら有効な策を立てることもできなかった。諸葛亮の遠隔操作で漸く反撃の機会を得た劉備軍は成都に向けて進軍を開始し、雒城に到達した。しかしここでも龐統は体調不良のため頭が全く働かず、雒城攻撃は完全に滞ってしまった。
雒城攻略が進まずに焦った龐統は、ふらふらとした足取りで戦場の視察に出てきたが、その頭上に流れ矢が降ってきた。普段の龐統ならばよけられただろうが、体調不良のせいで反射神経が極度に鈍っていた彼は流れ矢を頸筋に受けてしまい、絶命した。
*
孔明が劉備に追いついた頃には雒城は既に陥落し、劉備軍は成都を包囲していた。
やがて漢中から馬超が帰順を申し入れてきて、馬超自身が劉備軍の前線に出てくるに及んで、劉璋は劉備軍に降伏した。
孔明は早速地元の料理人を雇い、四川料理を心行くまで堪能した。
*
孔明が劉備の執務室を訪れた。
ここのところ孔明は多忙を極めている。荊州以来の幕僚・伊籍、益州で劉備に従った劉巴、法正、李厳と五人でプロジェクトチームを組み、法体系『蜀科』の作成に余念がないのだ。一日中彼らと議論をし、夜は自室で法案の作成・修正をするという日々が続いていた。
そんな中、孔明は突然劉備に呼び出されたのだ。
「お呼びでございますか。」
「孔明か。実は関羽から書簡が来たのだ。」
劉備は孔明に、関羽からの書簡を示した。劉備が益州を手中にした後、公安にいた孫夫人が呉に帰ったというのだ。
「荊州の食事が口に合わなかったのかな?」
「・・・。」
劉備は知らなかった。臨烝から公安に戻った孔明が、劉備たちが益州入りした直後に、どうしても湖南料理が恋しくなり、湖南から料理人を呼び寄せ、公安の刺史府の料理人を総入れ替えしてしまったことを。淡白な浙江料理で育った孫夫人には湖南料理の辛さは耐えがたかったのだろう。実質的には孔明が孫夫人を呉に追い返してしまったようなものだ。
ちなみに、関羽・張飛・趙雲は劉備と共にサバイバルを経験しているので、料理の味には無頓着である。
「彼女は呉の料理が天下一だと思っていたからな。確かに呉の料理は旨かったが・・・。」
「・・・。」
孔明は沈黙を守ることで節度を守り、自らの罪をも回避した。
参
零陵郡出身の劉巴は劉備とは浅からぬ因縁がある。曹操が荊州に進出し襄陽を降すと、劉巴は曹操に仕え、長沙・桂陽・零陵の三郡に帰順を呼びかける任務を負って荊州南部に赴いた。しかし曹操は烏林で敗れたため三郡は劉備に帰順してしまい、任務の完遂も曹操への復命もできなくなった劉巴は交趾へ逃れ、更に益州に入り、劉璋に仕えた。
ところが、間もなく劉璋は劉備を益州に迎え入れることになった。驚いた劉巴は当然反対したが、結局劉備は益州入りし、やがて劉璋を追い出して益州の主となってしまった。劉備と劉巴は互いにわだかまりもあったはずだが、やがて和解し、劉巴は左将軍西曹掾となった。
「張将軍は軍人ですが、文人を敬う心を持っており、子初(劉巴の字)殿を敬慕いたしております。そう邪険にしないで頂けますか。」
この日は孔明が劉巴の邸を訪ねて来ていた。先日、張飛が劉巴邸を訪れた際、劉巴が彼と口をきこうともせず、張飛を怒らせてしまったため、孔明が取り成しに来たのだ。だが劉巴はそっけなく
「士大夫は四海(天下)の英傑と交わるべきで、一武辺者と交流している暇はありませんよ。」
と繰り返すばかりである。さしもの孔明も溜息をつき、食事に箸をつけた。
「お、これはいい味ですな。成都の料理とも違う、独特な香りと繊細な味わいだ。」
孔明の賛辞を聞き、劉巴は「我が意を得たり」とばかりに微笑を浮かべる。
「さすがに襄陽の馬白眉殿が兄事するほどの人物、見事な舌をお持ちだ。私は一時期交趾に移り住んだことがありましてな、彼の地には中華にない独特の料理の在ることを知ったのです。彼の地の料理は零陵産の私にはいささかあっさりしていたので、益州に落ち着いてから様々に研究し、この味に辿り着いたわけです。」
交趾郡は現在のベトナム北部に相当する。この時二人が食べた料理はベトナム料理の風味と湖南料理の辛さを融合したような味だったのだろうか。
孔明はふと心づいて訊ねた。
「張将軍にはこの繊細な味はわからなかったでしょうな。」
「・・・帝に『皇叔』の称号を賜った方の側近ですからそれなりの人物かとも思ったのですが、所詮武人は武人ということなのでしょうか・・・。」
劉巴の表情が曇ったのを見て、孔明は得心がいった。学問だけではなく、味にもこだわりを持つ劉巴は、張飛の戦塵で磨り減ったような味覚に失望したのだ。
劉巴は、ふと思いついたように話を切り替えた。
「この益州の南、『南中』と呼ばれる地には独特な辛さを持つ料理があると聞きます。私も一度行ってみたいと思っているのですが。」
益州の南部から現在のミャンマー・ラオス・タイに至る東南アジアの山岳地帯は当時南中と呼ばれた。現在でも少数民族の宝庫であるこの地は当時からインド洋に到達する交易が盛んであった。南中の料理にはタイ料理の要素がかなり反映されていることは予想される。
「ほう、『南中』ですか・・・。」
孔明の心は既に南中に翔んでいる。張飛のことなど、最早どうでもよくなっていた。
*
時は建安二十四(二一九)年。劉備は前年から漢中に出兵中であり、孔明は成都で留守を守っていた。
ここ数年、孔明は多忙を極めた。蜀の劉備軍が戦をするたびに兵糧や援軍の手配といった後方支援を一手に引き受けていたのだ。その上この期間は戦が多かった。
建安二十(二一五)年 荊州返還を迫って出兵した孫権に対抗して劉備自ら五万を率いて荊州へ出陣。
建安二十一(二一六)年 漢中に駐屯している魏の張郃が巴西郡、巴東郡に侵入し、民
を拉致する。巴西郡太守の張飛が応戦し、これを撃破。
建安二十三(二一八)年 劉備が軍勢を率いて漢中に出兵。呉蘭、雷同を武都に派遣す
るが魏軍によって全滅させられる。
その上、元々は豊かだった益州は、劉備が主になった頃から次第に貧しくなってきていた。劉備は軍隊や官僚、その一族郎党といった大量の新しい支配階級を率いてきて、なおかつスムーズに益州の支配権を手にするために協力が不可欠となる在来の士大夫層もそのまま支配階級に留まったため、非生産人口が爆発的に増加してしまったのだ。
そんな中での連年の戦は、益州に大きな負担を強いた。孔明はそれこそ身を削る思いで兵糧を捻出し、前線に送った。民にだけ負担を押し付けるわけにもいかず、自らの食事も減らした。益州の政治の中枢にいる孔明のそのような態度を見て、他の名士や実力者たちもそれに倣った。
「軍師将軍、龐羲殿からの寄進です。」
報告を終えて出て行く官吏と入れ違いに成都県令の馬謖が執務室に入ってきた。ちなみに成都県が属する蜀郡の太守は法正だが、彼は現在劉備に従って漢中に出征中であり、蜀郡の事務は孔明が代行しているので、現在馬謖の上司は孔明である。
「あ、ああ。目録があったらその辺に置いておいてくれ。」
「・・・将軍、今何を隠されたのですか。」
孔明の不審な動きを馬謖は見逃さなかった。孔明はしぶしぶ先ほどの官吏が持ち込んだ報告書を馬謖に示した。それを見た馬謖の顔色が変わった。
「将軍、何ですかこれは!」
孔明が隠そうとした報告書は益州各地の食材、特に山椒などの香辛料の産地のリストだった。
「この非常時に自分の趣味の調査に人を使っておられるのですか!」
「いや、でも蜀の人間にとって辛いものは不可欠だし、前線の兵士たちにとっても有益なことなんじゃないかな、とか・・・。」
しどろもどろになってしまった上司を、将来有望な若い県令は呆れて見つめた。
*
「呉へ出兵すべし。」
劉備は魏の曹丕に続いて皇帝に即位したが、登極以来これが劉備の口癖となった。
二年前に、密かに魏と通じた呉によって関羽が、またつい先日は部下の裏切りで張飛が非業の死を遂げている。残された劉備の気持ちも推して知るべしである。
そんな中、趙雲が孔明を訪ねてきた。趙雲は関羽・張飛とも親交があった、蜀でも指折りの武将だが、今回の出兵には反対していた。
「我が国の国是は呉ではなく魏を討つことです。我が君が登極されたのは魏の曹丕を倒すためです。そのために、呉とは戦ではなく和を以って対さねばならない。陛下はどうしてこのように簡単なこともわからなくなってしまわれたのか・・・。」
「・・・。」
孔明は黙って茶を啜っている。孔明も内心では出兵反対に傾いている。連年の軍事活動で蜀の兵糧の蓄えは底を尽きかけている。孔明としてもこれ以上兵糧の調達で苦労するのはごめんである。しかし彼がこの問題に対して賛否を明確にしないのは、荊州を失ったことで湖北・湖南料理が手に入りにくくなったことに不満を覚えているために、孔明自身賛成・反対で迷っているからであった。
「丞相、貴方からも陛下を説得して頂きたい。口下手な私では陛下を納得させることは無理です。」
直線的で、何の迷いもない趙雲にかすかな羨望を覚えつつ、孔明は曖昧な返答でその場をごまかしていた。
*
白帝城、改め永安宮。
結局、趙雲の反対を押し切って呉へ親征を敢行した劉備だったが、夷陵で陸遜に惨敗し、命からがら白帝城に逃げ込んできた。呉とはまだ国交の修復が成っておらず、いつ攻め込んでくるかわからないという理由で、劉備はそのまま白帝城を永安宮と改称して居座っていた。
しかし劉備は、敗戦のショックからか病気になり、既に寝たきりだった。
そんな中、成都から丞相の孔明が見舞いに来た。
「久しいな、孔明。」
「思ったよりはご壮健なようで、安堵致しました。」
孔明の軽い皮肉に笑い返すだけの余裕を、病床の劉備はまだ持っていた。孔明は劉備にはいつも歯に衣着せず、言いたいことを言う。それで劉備も遠慮をせずにものを言えるのだ。
「孔明、あとは頼んだぞ。」
「また私に丸投げですか。ここ数年の後方支援でもういい加減私もうんざりなんですがね。」
「まあそう言うな。私の死後はそなたが思う通りに国を動かせるのだぞ。禅には『全て孔明に従え』と申し渡してある。」
「なに臣下の専制を指嗾してるんですか。貴方、本当に公嗣様に帝位を継がせるつもりがおありなんですか?」
「それは大丈夫だ。何故なら、そなたは皇帝になんぞなりたくないのだからな。」
「・・・。」
図星だったらしい。確かにそんな面倒な立場になど立ちたくはない。
「そなたが辛いもの食べたさに南中を攻めたがっていること、私が知らないとでも思ったのか。」
「・・・我が君にはかないませんなあ。」
孔明は、お手上げ、という態で苦笑した。
数日後、蜀皇帝劉備は崩御した。孔明は早速呉へ修好の使者を遣わし、再び二国は同盟を締結した。
*
孔明はいよいよ南中への遠征の途についた。馬謖は数十里の彼方まで見送りした。自身の任地である邛都へ向かうため、翌日には別れるという前夜、馬謖は孔明の幕舎を訪れ、進言した。
「丞相、南中は要害を頼みとして長く服属を拒んで参りました。今回彼らを打ち破ったとしても、軍を引き上げれば忽ち反旗を翻すでしょう。だからといって南中の民をことごとく殺し尽くすわけにもいきません。
そもそも用兵の道は、心を攻めるを上策とし、城を攻めるを下策とします。心を屈服させる戦いを上策とし、武器による戦いを下策と致します。何卒、ご高察賜りますよう。」
孔明は肯いながらも、改めて問うた。
「よくわかった。それではどのようにして彼らの心を攻める?」
「実は南中の民をまとめている孟獲という男について、このような情報があります。」
馬謖は身を乗り出し、声を潜めて何事かを囁いた。
「ほう、それはそれは・・・。」
孔明は満足げに肯く。
馬謖が退出すると、孔明は早速一通の書簡を書き上げ、配下の者を走らせた。
*
孟獲が捕らえられてきた。賞金をかけたのだ。孔明は縛を解かせ、孟獲を誘って二人きりで別室にこもった。不審そうな顔をする孟獲に対し、孔明は
「実は孟獲殿、折り入って頼みがある。」
「頼みとは何だ。貴公は私を捕らえたのだ。この首を斬り、我が軍を吸収すればよかろう。」
「それでは困る。この地の民をまとめる人物がいなければ、今は蜀に従ったとしてもすぐに叛くだろう。そなたには南中をまとめて蜀への貢納を確実にすること、南中が蜀に叛かぬように管理することをお願いしたい。」
孟獲は、ふっと皮肉な笑いを浮かべた。孔明に、南中を一方的に強権支配する気、というか自信がないと見て、少し余裕が出てきたようだ。
「南中は昔から独立を貫いてきた。今さら服属など、それも中華を統一した王朝ならばともかく、蜀などという地方政権への服属など、南中の民が承服するはずがありますまい。私などには彼らを抑えることは無理ですな。」
「私は中原の琅邪郡の出でしてね。中華の地に広い人脈がありましてな。」
ぴく、と孟獲の眼が反応する。孔明は我が意を得たりと思った。馬謖からの情報によれば、孟獲は中華の文化に対して強い憧れを抱いているらしいのだ。
「もちろん、私としても無料でお願いをするわけではありません。魏の腕利き料理人を派遣してもらうよう、既に手配済みです。」
「それは、まことか!」
孟獲は思わず食いついてきた。孔明は確かに魏の中枢に伝手があり、馬謖と話した夜にはその人物への書簡を出したのだ。その人物の名は陳羣。有名な九品官人法を制定した能吏であり、この時は尚書令。まさに魏朝廷の中枢に位置する人物であった。
実は陳羣は劉巴を尊敬しており、孔明宛に劉巴の消息を尋ねる書簡を送ってきて(その頃には劉巴は既に亡くなっていたが)以来、連絡を取り合う仲になっていたのだ。
孟獲は既に孔明の術中に嵌っており、中華料理のことで頭がいっぱいになっている。勝利を確信した孔明は、今回の遠征の最大の目的を達成するべく、さりげなく切り出した。
「ついでに、南中の料理人と食材を成都に派遣して頂けますか。ここの素晴らしい文化を蜀、ひいては中華の地へ紹介すれば、逆に中華の文化も一層この地にもたらされると思うのですが・・・。」
もちろん孔明には南中の料理を魏へ広めてやるつもりなど更々ない。全ては自分の食欲のためである。
こうして、孔明は南方の新たな激辛料理を手に入れることに成功した。
四
孔明が成都に帰還すると、丞相府を馬岱が訪ねてきた。なにやら思いつめた様子に見える。
「丞相、魏の雍州刺史・郭淮が羌族の地を圧迫しております。彼の地は我が従兄・馬超と縁の深いところ故、急ぎ救援をお願いしたく存じます。」
孔明は、いかにも気乗りしない風情で
「気持ちはわかるが、今の我が国は魏と事を構えられる状況ではない。まずは内政の充実が肝要なのだ。」
でないとまたいつかのように自分の食事を減らさねばならなくなってしまう、という本音は口に出さない孔明である。馬岱は正面突破を断念し、側面攻撃に切り替えることにした。
「実は、雍・涼二州は中原と西方との交易路でありまして、西方諸国から様々な物資がもたらされるのです。例えば胡椒とか・・・。」
「胡椒・・・!」
それまで見るからにうんざりした様子だった孔明の目の色が変わった。実は馬岱はこの少し前に馬謖を訪ね、孔明を説得するための傾向と対策を相談していたのだった。それは劇的な成果となって現れることになった。馬岱はここぞとばかり、
「西方には色々な国があり、様々な料理法もその交易路を通じてもたらされております。様々な香辛料を駆使した、未知なる味もございます。」
「様々な香辛料・・・!!」
孔明は今や身を乗り出さんばかりに馬岱の話に耳を傾けている。馬岱は賭けに勝ったことを知った。
*
孔明が祁山に進出すると、天水・南安・安定の三郡が降伏してきた。これで交易路(シルク・ロード)の一部を押さえた。このまま長安まで占領できれば、涼州も蜀に帰属するだろう。
シルク・ロードの交易は予想以上に盛んだったが、香辛料は大量というほどではなかった。胡椒はこの頃中華の地にもたらされたばかりで、まだ需要がそれほどではなかったのだろう。孔明としては、西方との交易路を確保し、蜀錦や茶を輸出するルートを確実に押さえておけば、香辛料等の輸入と蜀の貿易利益を大いに期待できる。国家財政の安定と自らの食欲の充足という一石二鳥というわけだ。
張郃が魏軍を率いて出てきた。孔明は馬謖を街亭に派遣して防がせた。張郃は歴戦の勇将であり、馬謖では役不足だと誰もが思ったが、今回馬謖はいわば囮であり、張郃の本軍を街亭に引き付けておいて、長安を獲ることが目的であった。長安を占領すれば、シルク・ロードの利権(孔明にとってはイコール胡椒)を独占できる。魏延や呉懿といった経験を積んだ将軍は長安攻略に使うつもりだった。
突然、伝令が祁山の本陣に飛び込んできた。息も絶え絶えといった感じで報告する。
「丞相、街亭の先鋒軍が魏の張郃に撃破され、街亭を突破されました。」
寝耳に水だった。あのような守りに適した地で、どうやったらこんな短時日で大敗するのか。守りやすい地形での任務だから馬謖を派遣したのだ。
わけもわからないまま、孔明は急遽撤退の指令を出した。
*
南鄭に戻った孔明は敗走してきた馬謖を処刑する決定を下した。参軍の費禕が諫めて言った。
「馬謖は我が軍になくてはならない有能な人材です。彼を喪えば我々の損失は大きすぎます。どうぞご再考下さい。」
「信賞必罰は武門の拠って立つところだ。馬謖は今回の作戦を潰し、もう少しで我が軍を窮地に陥れるところだった。我が国の損害は大変なもので、その罪は万死に値する。」
孔明は唇を噛んで声にならない(できない)悔しさを滲ませた。胡椒や貿易の権益が手に入るまでもう少しだったのに・・・。
「・・・。」
費禕はもう何も言わず、一礼して退出した。
*
何度目かの北伐の時、祁山の陣中で暇を持て余した三人の幕僚が立ち話をしていた。侍中・参軍の費禕、前軍師・征西大将軍の魏延、中監軍・征西将軍の姜維である。
費禕はずば抜けた事務処理能力を買われて皇帝の側近、孔明の側近、呉との外交交渉とあちこちに引っ張りだこの能吏。魏延は、関羽ら劉備の挙兵以来の将軍たち亡き今、蜀軍で一番経験と能力を持ち、蜀軍の中心といってよい勇将。姜維は、元は天水郡で軍務に就いていたが、第一次北伐の時に蜀軍に降伏し、馬謖敗退のどさくさに紛れて蜀軍と一緒に漢中に戻り、そのまま母親と離れ離れになってしまったが、馬謖の兄・故馬良にも勝る才能の持ち主と評判の俊才である。
「丞相の身勝手にも困ったものだ。あれは自分の欲望を充たすために我らを戦に駆り出しているではないか。」
魏延の言葉に費禕と姜維は苦笑せざるを得ない。孔明が胡椒欲しさに北伐を繰り返していることは今では周知の事実である。
「まあ、私も辛いものは好きだから別にいいですがね。伯約はどうだ?」
「私は故郷の冀に母を残してきてしまったので、何とかもう一度天水を取りたいです。」
「・・・お前らに聞いたのが間違いだったよ。成都の蔣公琰(蔣琬)あたりに話した方が良さそうだな。」
「無駄ですよ。公琰殿は丞相に心酔してますからね。」
穏やかに微笑む費禕につられるように魏延も苦笑し、三人はそれぞれに歩き去っていった。
*
祁山から撤退し、南鄭に戻った諸将は、奇妙な噂を耳にすることになった。
「魏将軍、李驃騎殿(李厳、改め李平)が『兵糧はまだ充分あるはずなのに何故退却したのか』と仰っているそうですよ。」
「何だと。我らは兵糧が尽きて撤退したのではなかったのか。実際、最後の方は毎日の兵糧も随分減らされて、兵士も不満たらたらだったぞ。」
姜維と魏延は同時に孔明の陣舎を見やった。
李平は劉備の益州奪取に重要な役割を果たし、また劉備没時に遺詔で孔明と共に後事を託された一人であり、益州の豪族や文人などからも人望が厚かった。孔明は面倒くさい後方支援をこの李平に任せていた。
魏延と姜維が同時に首を傾げている頃、孔明の陣舎では李平が孔明と相対していた。
「何度でも言いますよ。兵糧は充分に足りていたはずです。この夏は長雨で雍州へ出る道は通行が困難になりましたが、それでも何とか兵糧を祁山まで送り届けました。それなのに『退却の原因は兵糧不足』と言われるのは納得がいきません!」
「だがな李都護よ、そなたは私が頼んでいたものを送ってくれなかったではないか。」
「当たり前です。兵糧を送るのにいっぱいいっぱいなのに、大量の香辛料など送っていられますか。しかも『香辛料は濡らしてはならぬ』などと無理難題を。兵士たちの生命とご自分の嗜好と、どちらが大事なのですか!」
どうやら孔明は李平に頼んでいた香辛料の輸送が滞ったために、兵糧はまだ充分にあったにもかかわらず撤退を決意したものらしい。陣中での兵糧の分配を減らすなどという小細工までしたようだ。
しかし、痛いところを突かれたはずの孔明は、微笑を浮かべた。
「そなたは黙って私の指令に従っていればよかったのだ。そうすれば今の高位を保っていられたのに。」
李平はさっと顔を青ざめさせる。
「貴方はご自分の横暴を私の罪に転化させて、私を罰しようというのですか。先帝の遺詔を受けた私を。第一、そのような根も葉もない話を誰が信じましょうか。」
「甘いな。私に抜かりがあるわけが無かろう。兵糧は三回に二回は祁山ではなくもっと国境寄りで受け取り、人知れず別の場所に保管しておいたのだ。兵糧が不足していたということを疑う者はおらぬよ。」
「・・・。」
李平は声も出せず、口を開閉させるばかりだった。
*
三年後、孔明はまたしても北伐の途に上った。今回はいつもよりも東にある五丈原に帯陣し、屯田を始めた。雍州に長く居座ることでシルク・ロードを確実に押さえようという思惑のようだ。
魏軍は司馬懿が大軍を率いて渭水の南に帯陣した。司馬懿は三年前の戦闘で孔明に翻弄されたため、出撃してくる気配はない。孔明としては安心して雍州に居座ることができるというものだった。
ある日、司馬懿から孔明宛に書簡が送られてきた。
「黄公衡殿(黄権)はお元気です。彼は貴方を尊敬しており、しばしば貴方のお話をされます。」
黄権は元蜀の将軍で、夷陵の戦役で別働隊を率いたが劉備の本隊が先に敗退したため敵中に孤立し、呉ではなく魏に降伏した。魏の当時の皇帝・文帝曹丕は黄権を鎮南将軍に任じていた。
以前、孔明は劉巴をネタに陳羣と書簡のやり取りをしていたが、どうやら魏の文人たちは所属する国家にこだわらずに文通をすることを好む人が多いようだ。
「今回は帯陣が長くなる。先方はこれから使う夏用の衣服も用意してはおるまい。わざわざ書簡を頂いた礼に夏服を一着贈って差し上げよ。」
孔明は気軽にそう命じた。彼もまさかこれが魏の陣中で大騒動を惹き起こすことになるとは思いもしなかった。孔明の部下の手違いで、司馬懿のもとには女物の夏服が贈られてしまったのだ。
*
対陣が百日に達した八月の初め、孔明は途方に暮れていた。五丈原での屯田が不作に終わったのだ。豊作ならば一年は余裕で対陣できたのが、これでは蜀国内の米を収穫し、兵糧として届くまで食いつなぐことも覚束ない。
兵糧の配給を減らすしかなかった。孔明自身も久しぶりに食事を削った。
ある日、偵察任務を終えた姜維が孔明の元に報告に来た。
「丞相・・・?」
陣舎に入った姜維は屋内を見回したが、孔明の姿はない。彼は室内を探し回り、机案の下にうずくまっている孔明を発見した。
「丞相、どうされました?」
慌てて近寄って覗き込むと、孔明が口を押さえている手から吐血が溢れている。
「丞相!」
悲鳴に似た声を上げ、姜維は大声で軍医を呼んだ。
軍医たちの手で孔明が床に運ばれる間、姜維は孔明の机案の上を呆然と眺めていたが、そこに孔明の朝食の食べ残しを見つけた。姜維はそれに近寄り、何気なく口に含んでみた。
「・・・!」
何を思ったのか、姜維は憤然として室を出て行った。
*
翌日、漸く意識を回復した孔明の枕もとを、姜維が訪れた。
「伯約、すまなかったな。」
「すまなかったじゃ、すまされません!」
姜維はいつになく凄まじい剣幕だった。眼には涙さえ浮かべている。
「どうしてこれだけ食事を減らしている時に、あのように辛い料理を召し上がるんですか。胃腸が荒れるのも当然です!」
「だから悪かったって。」
孔明は、悪戯を見つかった子供のような表情でわずかに肩をすくめて見せた。
しかし孔明の病状は、空腹時の辛い料理の摂りすぎによる一時的な胃腸炎ではすまなかった。長年の激辛料理愛好により、彼の体はすっかり蝕まれていた。交感神経が異常をきたしていたのだ。それが、今回の胃腸炎で体力が落ちたことにより一気に表面化し、容態はにわかに改まった。
孔明病臥に蜀軍は動揺した。孔明は北伐軍だけでなく、蜀の国政の一切をも掌中にしているのだ。成都と五丈原で使者が盛んに行き来した。
「結局、俺たちは何のために戦っていたんだろうな・・・。」
「そうですね・・・。」
慌しく走り回っている費禕の様子を眺めつつ、魏延と姜維はつぶやくように漏らした。襲い来る虚しさに抗う術も気力もない・・・。
結局、孔明の体力は回復せず、そのまま陣中で薨去した。享年五十四。
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